児玉神社。児玉郡美里町関の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

児玉神社。鶴岡八幡宮を勧請、義民遠藤兵内お宮

児玉神社の概要

児玉神社は、美里町関にある神社です。児玉神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に当所の修験者である関城院という人が修業のために大和国大峯山に籠り、満願しての帰途、鎌倉鶴岡八幡宮に通夜した時霊夢を感じて当所に帰村の後一社を創立して若宮八幡宮と称したと伝えられます。明治40年(1907)に合社により児玉神社と改称しました。江戸時代には関村の鎮守社となっていました。また、境内には明和元年(江戸時代)に起きた明和の大一揆の首謀者として、明和3年45才の若さで獄門の刑に処せられた当地の名主遠藤兵内を祀った義民遠藤兵内お宮(関兵霊神社)があります。遠藤兵内は、児玉神社近くの関観音堂境内にあります。

児玉神社
児玉神社の概要
社号 児玉神社
祭神 仁徳天皇・菅原道真公・須佐能男命・大雷命・字気母智命・佐太大神・天宇受売神・大名持命・少彦名命・火産霊命・大日孁貴命・大山祇命・伊那那岐命・伊邪那美命
相殿 -
境内社 関兵霊神社
祭日 関兵霊神社祭2月13日、八坂神社祭7月25日、例祭10月15日
住所 児玉郡美里町関374
備考 -



児玉神社の由緒

児玉神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に当所の修験者である関城院という人が修業のために大和国大峯山に籠り、満願しての帰途、鎌倉鶴岡八幡宮に通夜した時霊夢を感じて当所に帰村の後一社を創立して若宮八幡宮と称したと伝えられます。明治40年(1907)に字田中菅原神社、字芝原八坂神社・雷電神社・稲荷神社、字八幡関八坂神社、字庚申塚石神社、字大関稲荷神社、字倉柱愛宕神社・神明神社、字石神石神社、字柳町石神社、字六道山神社、字三本松二柱神社の一三社を合祀し、児玉神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による児玉神社の由緒

若宮八幡社
村(関村)の鎮守なり。不動院の持。
末社。天神、稲荷。(新編武蔵風土記稿より)

美里町史による児玉神社の由緒

児玉神社
大字関にあり、仁徳天皇ほか13柱の神を祭る。鎌倉時代に当所の修験者である関城院という人が修業のために大和国の大峯山に籠り、満願しての帰途、鎌倉鶴岡八幡宮に通夜した時霊夢を感じて当所に帰村の後一社を創立して若宮八幡宮と称したといわれる。後世になって寛文年間(1661-1673)および明治元年(1868)の二度にわたって火災にあい、宝物・古文書等すべて失い由来を明らかにすることはできない。明治40年(1907)に合社により児玉神社と改称された。(美里町史より)

義民遠藤兵内について

義民遠藤兵内お宮改築記念碑
義民遠藤兵内は、今からおよそ二百二十有余年前の明和元年に起きた明和の大一揆の首謀者として、明和3年45才の若さで獄門の刑に処せられ、刑場の露と消えました。文久3年、この地に神として祀られ、以来命日の2月13日には神霊祭が盛大に行われます。平成2年、兵内くどき保存会が県の文化ともしび賞を受け、ここに受賞記念事業としてお宮の改築をし、義民兵内の功績を長く後世に伝えるものです。(美里町史より)


児玉神社の周辺図