光勝寺。児玉三十三霊場
光勝寺の概要
真言宗豊山派寺院の光勝寺は、諏訪山釈迦院と号します。光勝寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると、新編武蔵風土記稿が編纂された文化文政年間には、光勝寺に宝亀五年の銘文がある観音像があったことから、古寺ではないかと記載しています。児玉三十三霊場18番霊場です。
山号 | 諏訪山 |
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院号 | 釈迦院 |
寺号 | 光勝寺 |
住所 | 児玉郡美里町阿那志550 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 多羅尊観音像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 児玉三十三霊場18番霊場 |
光勝寺の縁起
光勝寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によると、新編武蔵風土記稿が編纂された文化文政年間には、光勝寺に宝亀五年の銘文がある観音像があったことから、古寺ではないかと記載しています。
新編武蔵風土記稿による光勝寺の縁起
光勝寺
新義真言宗、小茂田村勝輪寺末、諏訪山釈迦院と号す。本尊多羅尊観音、長2尺余、外に釈迦の像を安ぜり。
観音の像、後年たた中より離れて二つとなり、背の方に宝亀五年の銘文ありしゆへ最古仏なる事を始て知て、其まま龕に納めて、敢て修理を加へず。古色の形を存ぜり。其図上の如し(宝亀五年刀三月開祖歓同と記載)。宝亀五年は空海生まれし年なれば、いとも上りし世の事にて、實に当時のものなるべきや、考ふべからず。されど殊勝にして、古佛なることは論なく、銘文のさまも後人の者せしとはおもはれず。由て按に此像もし宝亀の作とせんには、歓同開基の時は今の宗門にあらざる事知らる、将若くは此像他寺に在しを、後に当寺へ移せしにや。
鐘楼、鐘は元禄四年の鋳造にて、当山三十七世の住僧、祐慶建立の由を銘す。
十王堂。(新編武蔵風土記稿より)
光勝寺の周辺図