円福寺。児玉郡美里町駒衣にある真言宗智山派寺院
円福寺の概要
真言宗智山派寺院の円福寺は、多聞山文殊院と号します。江戸時代初期に僧良賢(寛永10年1633年寂)が創建したといいます。江戸時代中期に本堂を再建、旧本堂は毘沙門山毘沙門堂へ移築したと伝えられ、現本堂は平成19年に再建しました。
山号 | 多聞山 |
---|---|
院号 | 文殊院 |
寺号 | 円福寺 |
住所 | 児玉郡美里町駒衣340 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 文殊菩薩像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
円福寺の縁起
円福寺は、江戸時代初期に僧良賢(寛永10年1633年寂)が創建したといいます。江戸時代中期に本堂を再建、旧本堂は毘沙門山毘沙門堂へ移築したと伝えられ、現本堂は平成19年に再建しました。
新編武蔵風土記稿による円福寺の縁起
円福寺
新義真言宗、広木村常福寺末。多門山文殊院と号す。本尊文殊、開山僧良賢、寛永10年5月23日示寂。
文殊堂。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による円福寺の縁起
本堂修繕落慶碑
抑々 当山の創建は徳川家康公江戸に開府せし寛永年間の初め、僧良賢開山せしと言う。
実に四百年の往昔なり。
本尊は右の手に利剣を持ち正邪、是非、善悪を決断する智慧の御ほとけ、文殊菩薩にして多聞山文殊院円福寺と号す。
広木常福寺末の真言宗智山派の密教寺院である。
江戸時代中期、九代将軍家重公治世の宝暦13年(1764)、僧乗戒僧都によって現本堂が建立された。
旧本堂は多聞天を祀る毘沙門山に移築されたと言う。(※毘沙門山毘沙門堂を参照)
昭和14年大修理を加えたれども、太平洋戦争の困難なる時代を経て戦後、無禄の寺院となる。
昭和53年、文殊堂および納屋を破却した。
本堂は、修繕後約70年の歳月の経過により、瓦の破損、建物の老朽化が著しく今般改修を発願せり。
総代、世話人の賛同、協力を得て浄財を募り、本堂改修の大聖業を完遂した。
ここに落慶の慶びを記録する。
平成19年7月吉日
円福寺住職中僧都 室久智雄
法類西音寺住職権大僧都 室久俊戒(境内石碑より)
円福寺の周辺図