吹上神社。鴻巣市吹上本町の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

吹上神社。旧山王社に氷川社・稲荷社を合祀

吹上神社の概要

吹上神社は、鴻巣市吹上本町にある神社です。吹上神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期に交通の要衝として繁栄した吹上の上分の鎮守として祀られ、山王社と称していたといいます。明治維新後村社に列格、明治40年地内の氷川社、稲荷社を合祀、吹上神社と改称しています。

吹上神社
吹上神社の概要
社号 吹上神社
祭神 大山咋命
相殿 -
境内社 富士浅間、愛染明王・金毘羅権現・不動明王、富士浅間、庚申塔
祭日 天王様7月22・23日、例祭9月15日
住所 鴻巣市吹上本町4-14-26
備考 -



吹上神社の由緒

吹上神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期に交通の要衝として繁栄した吹上の上分の鎮守として祀られ、山王社と称していたといいます。明治維新後村社に列格、明治40年地内の氷川社、稲荷社を合祀、吹上神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による吹上神社の由緒

(吹上村)
山王社
村内上分の鎮守とす、東曜寺持、
末社。稲荷社、天王社、天満宮、庚申堂
---
氷川社
小名遠所の鎮守なり、東曜寺持、
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稲荷社
下宿の鎮守なり、東曜寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による吹上神社の由緒

吹上神社<吹上町本町四-一四-二六(吹上字上耕地)>
吹上は、北足立郡の最北端に位置し、その地名については、風で砂が吹き上げるところから生じたものとの説がある。古くからの集落は中山道に沿って続いており、江戸時代には中山道の熊谷・鴻巣の両宿間の立場が置かれ、更にその地内で中山道と日光脇往還が交わることから、交通の要衝として繁栄した。
『風土記稿』吹上村の項には「山王社 村内上分の鎮守とす、東曜寺持」「氷川社 小名遠所の鎮守なり、持宝院持」「稲荷社 下宿の鎮守なり、東曜寺持」と、鎮守が三社記されている。このように、江戸時代にあっては、村内を三分し、各々で鎮守を祀っていたが、最も規模が大きかったことから社格制定に際しては日枝社(神仏分離により山王社が改称)が村社となり、他の二社は無格社にとどまった。更に、政府の合祀政策によって明治四十年四月十六日付で、氷川社と稲荷社は日枝社に合祀され、これに伴い、日枝社は村名を採って吹上神社と改称した。年配の人が当社を「山王様」と呼ぶのはこうした経緯によるものである。
ちなみに、氷川社の跡地は本町二丁目の遠所橋のすぐ南に、稲荷社の跡地は鎌塚二丁目の新宿橋のたもとの所にあり、いずれも祠が建てられている。また、日枝社については、『明細帳』に「宝暦六年(一七五六)七月火災焼失す其後創立年月不詳」との記録が載る。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


吹上神社の周辺図