東曜寺。鴻巣市吹上本町にある真言宗豊山派寺院
東曜寺の概要
真言宗豊山派寺院の東曜寺は、瑠璃山寶壽院と号します。東曜寺の創建年代等は不詳ながら、僧宥覚による開山と伝えられています。
山号 | 瑠璃山 |
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院号 | 寶壽院 |
寺号 | 東曜寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 鴻巣市吹上本町4-14-19 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東曜寺の縁起
東曜寺の創建年代等は不詳ながら、僧宥覚法印が開山、江戸時代初期の創建ではないかと伝えられています。明治6年当寺本堂を教場として吹上学校が開校していました。
新編武蔵風土記稿による東曜寺の縁起
新義真言宗、箕田村龍珠院末。瑠璃光山寶壽院と号す。本尊阿弥陀を置。開山宥覚寂年つまびらかならず。
薬師堂、薬師は弘法大師の作。
毘沙門堂。(新編武蔵風土記稿より)
「吹上町史」による東曜寺の縁起
東曜寺
土地のものが、上寺と呼ぶこの寺は、箕田村(現鴻巣市)竜昌寺(自在山龍珠院)の末で、真言宗豊山派で、瑠璃山宝寿院(宝珠院)と号している。開山は宥覚法印で同寺に墓もあるが、宝暦六年(一七五六)第八世専意法印代の類焼、明治九年(一八七六)の炎上により過古帳等を焼失し開基、開山の寂年など明らかでない。法印墓地及び檀徒墓地に江戸時代初期の、寛永、正保、明暦、万治、寛文年間の宝篋印塔があり、このころには、東曜寺も成立していたものと思われる。
本尊は阿弥陀如来であったが、明治九年二月二十日の火災で、本堂、薬師堂、毘沙門堂、諸仏などとともに焼失、薬師如来像のみ焼失をまぬかれ、現在は本尊仏として、昭和四十六年七月完成をみた本堂に安置されている。
本尊薬師如来像は、木造、寄木造、彩色、玉眼(水晶ガラスなどはめこんだ眼)通肩(両そでに手を適した姿)像高二八・六センチ、厨子(仏像を納める両開き扉のある仏具)に安置されている。厨子の扉絵は薬師如来脇侍の日光、月光菩薩である。
明治六年八月十九日には、ここの本堂を教場に吹上学校が開校されて吹上村・榎戸村における学校教育発祥の地となった。明治九年の焼失後、吹上学校は下寺に一時移転したが、明治二十二年(一八八九)町村制実施後もここに吹上尋常小学校の校舎が新築され、明治三十二年おぎょう山の新築校舎に移るまで、新時代の国民教育がこの地で行われた。(「吹上町史」より)
東曜寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「吹上町史」