原馬室愛宕神社。武蔵少掾藤井元国が勧請
原馬室愛宕神社の概要
原馬室愛宕神社は、鴻巣市原馬室にある神社です。原馬室愛宕神社は、勝軍地蔵の教化を続けていた武蔵少掾藤井元国が当地が霊験を受けたことから、長治2年(1105)に京都愛宕山の神霊を当地に祀ったといいます。正慶2年(1333)の新田義貞挙兵に際して、家臣世良田利長が社頭に利剣を納めて戦勝を祈願、貞和4年(1348)には武蔵権大目となった藤井行久が社殿を修め、神田を寄進したといいます。江戸期には原馬室村の鎮守社だったといいます。
社号 | 愛宕神社 |
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祭神 | 軻遇突知命 |
相殿 | 天照大神、素盞嗚尊 |
境内社 | - |
祭日 | 夏例祭7月24日 |
住所 | 鴻巣市原馬室2825 |
備考 | - |
原馬室愛宕神社の由緒
原馬室愛宕神社は、勝軍地蔵の教化を続けていた武蔵少掾藤井元国が当地が霊験を受けたことから、長治2年(1105)に京都愛宕山の神霊を当地に祀ったといいます。正慶2年(1333)の新田義貞挙兵に際して、家臣世良田利長が社頭に利剣を納めて戦勝を祈願、貞和4年(1348)には武蔵権大目となった藤井行久が社殿を修め、神田を寄進したといいます。江戸期には原馬室村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による原馬室愛宕神社の由緒
(原馬室村)
愛宕社
村内の鎮守なり、妙楽寺の持。
末社。稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による原馬室愛宕神社の由緒
愛宕神社<鴻巣市原馬室二八二五(原馬室字赤台)>
長治二年(一一〇五)の創立と伝えられる当社は、原馬室の鎮守として祀られてきた神社である。その由緒は、江戸時代初期に、別当妙楽寺の法印日誉が写した「原馬室愛宕神社愛宕山記」に、次のように語られている。
当社は、勝軍地蔵を祀るがゆえに、愛宕山と称する。武蔵少掾藤井元国は、常に勝軍地蔵の教化を願い、その霊地を訪ねていたが、ある夕、馬室郷を過ぎると、遥かに火の光が見えたので、その庵に泊めてもらうことにした。この庵主は老尼であったが、「汝は久しく勝軍地蔵を信ずるゆえ、今、姿を現すのだ」といい、地蔵に身を変え、光明を広野に放ち、十界平等印と令法久住印とを元国に授けた。元国は、その後、長治二年三月に山城国(現京都府)愛宕山を拝し、その神霊を彼の勝軍地蔵が出現した地に社殿を造営して祀った。更に、正慶二年(一三三三)に新田義貞が挙兵した際には、その臣の世良田利長が社頭に利剣を納めて戦勝を祈願し、貞和四年(一三四八)には武蔵権大目となった藤井行久が社殿を修め、神田を寄進した。
右の由緒のような経緯をたどり、当社は現在のような形を整え、地元原馬室の人々から村の鎮守として信仰されるようになった。『風土記稿』原馬室村の項に「愛宕社 村内の鎮守なり、妙楽寺の持」と記されているのは、そうした状況を記したものである。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
原馬室愛宕神社の周辺図