上谷氷川神社。立川石見守が土着した際に創建
上谷氷川神社の概要
上谷氷川神社は、鴻巣市上谷にある神社です。上谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻太田家に仕えていた立川石見守が、太田氏資戦死後当地に土着、天正年間(1573-1592)に上谷を開発したことから、開発に際して勧請したのではないかといいます。江戸期を通じて村の鎮守として祀られ、明治維新後には明治6年村社に列格、明治40年字西ケ谷の厳島社、字上川面の稲荷社、字郡田の須賀社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 須賀社、神明・稲荷・日枝 |
祭日 | 例大祭4月15日- |
住所 | 鴻巣市上谷2258 |
備考 | - |
上谷氷川神社の由緒
上谷氷川神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻太田家に仕えていた立川石見守が、太田氏資戦死後当地に土着、天正年間(1573-1592)に上谷を開発したことから、開発に際して勧請したのではないかといいます。江戸期を通じて村の鎮守として祀られ、明治維新後には明治6年村社に列格、明治40年字西ケ谷の厳島社、字上川面の稲荷社、字郡田の須賀社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による上谷氷川神社の由緒
(上谷村)
氷川社
村の鎮守なり、
末社。天神社、稲荷社
別當千壽院
本山修驗にて南下谷村大行院の配下なり、本尊不動を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上谷氷川神社の由緒
氷川神社<鴻巣市上谷二二五八(上谷字谷田)>
上谷の地内の北の方の小名を竜灯と呼び、その由来を『風土記稿』は次のように載せる。古くはこの辺りに大きな沼があり、年久しく竜が棲んで、光を放ち、田畑を荒らすなどして耕地の妨げをしていた。天正のころ(一五七三-九二)岩槻の浪人立川石見守という強勇の者が、この竜を退治したことから村民は喜び、それにちなんで小名を竜灯と名付け、後にこの沼を埋めて水田を開いた。彼の石見守は、村の旧家弥七の先祖であるという。ちなみに、地内にあった真言宗宝性院(明治初年廃寺)の開基は、この立川石見守であると伝えている。
当社は上谷の鎮守として祀られており、創建の年代は明らかでないが、村の開発が進められる中で勧請されたものであろう。本殿に奉安する神鏡には享保二十一年(一七三六)の銘が見える。また、『風土記稿』上谷村の項には「氷川社 村の鎮守なり、末社 天神社 稲荷社 別当千寿院 本山派修験にて南下谷村大行院の配下なり、本尊不動を安ず」とある。神仏分離後、当社は明治六年に村社となり、同四十年に字西ケ谷の厳島社、字上川面の稲荷社、字郡田の須賀社の三社の無格社を合祀した。このうち厳島社は当地と下谷・宮内の旧三か村の村境にあった池の傍らに祀っていた社である。また、稲荷社は、大雨による荒川の度重なる氾濫を憂えた天台宗台蔵院(明治初年廃寺)の開祖傳法上人が風雨順時と五穀成就の守護神として祀ったと伝える。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
上谷氷川神社の周辺図