小松原神社。旧小松原村で祀られていた社を合祀
小松原神社の概要
小松原神社は、鴻巣市小松にある神社です。小松原神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代初期には小松原村として成立していた地域で、愛宕社、稲荷社2社が祀られていたといいます。明治2年に3社が、当地(中組稲荷社の地)に合併、小松原神社と改称しています。境内社の天神社・雷電社は、受法院(現小松原大日堂)境内に祀られてもので、明治維新後の神仏分離に際して当地へ遷座し祀られています。
社号 | 小松原神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社、雷電社 |
祭日 | 例祭7月21日頃 |
住所 | 鴻巣市小松1-10-18 |
備考 | - |
小松原神社の由緒
小松原神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代初期には小松原村として成立していた地域で、愛宕社、稲荷社2社が祀られていたといいます。明治2年に3社が、当地(中組稲荷社の地)に合併、小松原神社と改称しています。
新編武蔵風土記稿による小松原神社の由緒
(原馬室村枝郷小松原)
稲荷社二宇
共に當所の鎮守なり、一は村民の持、一は受法院の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による小松原神社の由緒
小松原神社<鴻巣市小松一-一〇-一八(原馬室字中組)>
当社の鎮座する小松原は、古くは小松原村と称する一つの村であったが、後に原馬室村の枝郷となり、更に明治四年に原馬室村に合併してその大字になった。この小松原の地内には、上・中・下の三つの組があり、上では愛宕社、中では稲荷社、下では別の稲荷社と、各々組ごとに鎮守とする神社を祀ってきた。
こうした状況は長い間変わらなかったが、「境内編入願」によれば、明治二年の地租改正の際、政府の達しに従い、中組の稲荷社に上組の愛宕社と下組の稲荷社を合祀し、社名を小松原神社と改称の上、小松原村の村社としたという。明治四年に小松原と原馬室の両村が合併した後も、旧小松原村の人々は小松原神社を鎮守として祀り続けていたが、当時の村吏の誤解により、社格は無格社となった。『郡村誌』原馬室村の項に「小松社 平社(中略)村の東にあり迦具土命を祭る祭日七月廿一日」とあるのは、その当時の状況を表すものである。
村社の社格は、当時の社掌千葉松彦や総代が努力したにもかかわらず回復することはできなかったが、明治二十九年には拝殿を再建し、同三十七年には境内両脇の土地三九五坪を境内に編入して環境を整備するなど、かつての村社としての威厳を保つべく努力が続けられた。なお『明細帳』では、右の書類とやや異なり、明治六年に、字松原の愛宕社を中組の稲荷社に合祀して小松原神社と改称したとある。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)
小松原神社の周辺図