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滝馬室氷川神社。鴻巣市滝馬室の神社、滝馬室村鎮守、滝馬室2号墳

滝馬室氷川神社の概要

滝馬室氷川神社は、鴻巣市滝馬室にある神社です。滝馬室氷川神社の創建年代等は不詳ながら、「延暦年間(782-805)坂上田村麻呂が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」との伝承が残されており、古くより祀られてきたのではないかといいます。

滝馬室氷川神社
滝馬室氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 軻遇突知命
相殿 天照大神、素盞嗚尊
境内社 -
祭日 夏例祭7月24日
住所 鴻巣市滝馬室1151
備考 -



滝馬室氷川神社の由緒

滝馬室氷川神社の創建年代等は不詳ながら、「延暦年間(782-805)坂上田村麻呂が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」との伝承が残されており、古くより祀られてきたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による滝馬室氷川神社の由緒

(瀧馬室村)
氷川社
村内の鎮守なり、社地の御手洗より落る瀧あり、當村瀧の名を冠りしはこの故なりと、岸上に石の不動を置り。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による滝馬室氷川神社の由緒

氷川神社<鴻巣市滝馬室一一五〇-二(滝馬室字中閭)>
滝馬室は、隣の原馬室と共に、室町期-戦国期に見える「馬室郷」の遺称地で、その郷名は『埼玉県地名誌』によれば、古墳の石室を示す「むろ」から生じたという。元禄年間(一六八八-一七〇四)までに分村したらしく、『元禄郷帳』に滝馬室村と見える。
当社は荒川低地を望む台地上に鎮座している。老樹に囲まれた境内の一角からは清水が湧き出し、「御手洗の池」となっており、更に滝となって水路に注ぎ、当地一帯の耕地を潤している。この滝が村名の由来になったといわれており、古くから当地の重要な水源であったことが推測される。恐らく、いつのころか当地に住み着いた人々が、湧き出る水の恵みを称えてその傍らに当社を祀ったものと思われる。また、伝説によれば「延暦年間(七八二-八〇五)坂上田村麻呂が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」とあり、当社と常勝寺のかかわりもうかがわせる。常勝寺は開山開基共に不詳であるが、境内には文永七年(一二七〇)「為種法入道也」などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。
往時の別当は、当社隣地にあった真言宗吉祥寺で、常勝寺の末寺で竜泉山と号し、開山光瓊が天正十一年(一五八三)に寂している。
当社は寛延二年(一七四九)に神祇管領卜部兼雄から幣帛を受けた。(「埼玉の神社」より)


滝馬室氷川神社所蔵の文化財

  • 滝馬室的祭(鴻巣市指定無形民俗文化財)

滝馬室的祭

氷川神社<鴻巣市滝馬室一一五〇-二(滝馬室字中閭)>
滝馬室は、隣の原馬室と共に、室町期-戦国期に見える「馬室郷」の遺称地で、その郷名は『埼玉県地名誌』によれば、古墳の石室を示す「むろ」から生じたという。元禄年間(一六八八-一七〇四)までに分村したらしく、『元禄郷帳』に滝馬室村と見える。
当社は荒川低地を望む台地上に鎮座している。老樹に囲まれた境内の一角からは清水が湧き出し、「御手洗の池」となっており、更に滝となって水路に注ぎ、当地一帯の耕地を潤している。この滝が村名の由来になったといわれており、古くから当地の重要な水源であったことが推測される。恐らく、いつのころか当地に住み着いた人々が、湧き出る水の恵みを称えてその傍らに当社を祀ったものと思われる。また、伝説によれば「延暦年間(七八二-八〇五)坂上田村麻呂が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」とあり、当社と常勝寺のかかわりもうかがわせる。常勝寺は開山開基共に不詳であるが、境内には文永七年(一二七〇)「為種法入道也」などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。
往時の別当は、当社隣地にあった真言宗吉祥寺で、常勝寺の末寺で竜泉山と号し、開山光瓊が天正十一年(一五八三)に寂している。
当社は寛延二年(一七四九)に神祇管領卜部兼雄から幣帛を受けた。(「埼玉の神社」より)

滝馬室氷川神社の周辺図