龍珠院龍昌寺。末寺三十六ヶ寺を擁していた本寺、箕田龍珠院
龍昌寺の概要
真言宗豊山派寺院の龍昌寺は、自在山龍珠院と号し、江戸時代までは箕田龍珠院と通称していました。光範僧都が永長2年(1097)に開山したと伝えられ、古くより近郷における新義真言宗の中心的な寺院として栄え、天正19年(1591)には満願寺と共に寺領5石の御朱印状を拝領、末寺三十六ヶ寺を擁していたといいます。往古は箕田龍珠院と称されていましたが、江戸期より龍昌寺を通称とするようになりました。
山号 | 自在山 |
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院号 | 龍珠院 |
寺号 | 龍昌寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 鴻巣市箕田2096 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 永代使用受付中 |
備考 | - |
龍昌寺の縁起
龍昌寺は光範僧都が永長2年(1097)に開山したと伝えられ、古くより近郷における新義真言宗の中心的な寺院として栄え、天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を拝領、末寺三十六ヶ寺を擁していたといいます。往古は箕田龍珠院と称されていましたが、江戸期より龍昌寺を通称とするようになりました。
新編武蔵風土記稿による龍昌寺の縁起
龍珠院
新義真言宗、大和国小池坊の末にて三十六ヶ寺の本寺なり。自在山龍昌寺と号す。寺領5石の御朱印は天正19年11月賜ふ所なり。此御朱印の文に龍昌寺へ寄進すとあれば、古は寺号をもて行はれしと見ゆ。開山を光範と云。寂年を失へり。本尊は不動を安置せり。
寺宝
龍ノ玉一顆。此玉あるゆへ、龍珠院と号すといへども、其傳来定かならず、形は寶珠のごとくにて高さ3寸程あり。これ真言宗にて用ゆる金剛寶珠の類なるべし。
剣一振。無銘なり。三条小鍛冶宗近の作なりと云傳ふ。
鐘楼。宝永4年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による龍昌寺の縁起
当山は真言宗豊山派自在山龍珠院龍昌寺と称し、開山は永長2年(1097)光範僧都と伝えられ、古くは本山長谷寺の直末で移転寺として、更に末寺三十六ヶ寺の本寺で、常法檀林として近郷寺院僧侶の修行道場であった。
また、徳川家代々将軍より寺領5石を給付され、殊に寺中不入地として保護されていた。
しかし、慶應4年3月28日神仏判然令発令、明治4年1月5日寺社領没収等、苦難な道を歩んで来たが、その間も二回の火災に遭いながらも、歴代住職及び檀信徒は再建又再建と努力された。また、昭和時代、本堂屋根修復、大門修理、鐘楼堂修理等、最近では客殿庫裡改築、霊園開設、先師墓地建立、龍珠地蔵尊(百地蔵尊)建立、白塀工事等を完成した。
当山も平成9年(1997)には、900年という長い歴史をもつ寺になる。そこで、記念事業の計画を立て、新鐘楼堂建立、本堂屋根瓦葺き替え工事、本堂天井修理、水屋・トイレ新設、両大師像大香呂建立、有縁無縁塔(龍珠観世音)建立、境内整備、龍昌寺由緒刊行等、当山にふさわしい事業計画が決定された。
龍昌寺本尊及び歴代住職とご先祖様が護り続けてきた菩提寺を、開山900年記念事業でより一層発展充実させて、後世子孫に伝えるためここに檀信徒各位の絶大なるご協力格別のお力添えを賜り、開山900年事業が立派に完成したことは、本尊不動明王の広大無辺な加持力と共に檀信徒各位の熱意あふれる供養心の賜物である。
ここに、檀家各位の一層のご多幸とご繁栄を至心に祈願し永代に記すものである。(境内龍昌寺開山900年事業記念碑より)
龍昌寺所蔵の文化財
- 絹本着色両界曼荼羅2幅
- 朱印状11通
龍昌寺の周辺図