小谷閻魔堂。小谷学校開校地
小谷閻魔堂の概要
寺院の小谷閻魔堂は、三十袈裟山閻魔寺と号していた寺院です。小谷閻魔堂の創建年代等は不詳ながら、三十袈裟山閻魔寺と号す寺院として創建、寛文3年(1663)銘の法印墓石が残されている(「埼玉の神社」小谷日枝神社項)ことから江戸時代前期には存在していたものと思われます。無住期間も多く、金乗寺が兼帯していたようで、明治維新後廃寺となり、明治5年には小谷学校が開校しています。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 閻魔王像 |
住所 | 鴻巣市小谷 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
小谷閻魔堂の縁起
小谷閻魔堂の創建年代等は不詳ながら、三十袈裟山閻魔寺と号す寺院として創建、寛文3年(1663)銘の法印墓石が残されている(「埼玉の神社」小谷日枝神社項)ことから江戸時代前期には存在していたものと思われます。無住期間も多く、金乗寺が兼帯していたようで、明治維新後廃寺となり、明治5年には小谷学校が開校しています。
新編武蔵風土記稿による小谷閻魔堂の縁起
(小谷村)
閻魔寺
前と同宗にて同寺門徒なり、三十袈裟山と號す、地蔵を本尊とせり、元禄(新編武蔵風土記稿より)
「吹上町史」による小谷閻魔堂の縁起
金乗寺(吹上町大字小谷一五〇七)項
焔魔寺は、小谷日枝神社東に位置した寺で、新義真言宗箕田村竜昌寺の末である。禅宗曹洞派の古記もあるが、真言宗金乗寺が兼帯していた過古帳が現存している。元禄年間の開基であるというが、開山等は詳らかでない。明治五年八月、ここに小谷、三町免を学区とした小谷学校が開校した。焔魔寺跡は桑畑等に変わり、長島家等を中心とした墓地のみが昔をしのばせている。(「吹上町史」より)
小谷閻魔堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「吹上町史」