真福寺。行田救済菩薩十五霊場
真福寺の概要
真言宗智山派寺院の真福寺は、無量山と号します。真福寺の創建年代は不詳ですが、中興開山深斉(元亀年中寂)と伝えられています。当寺本尊不動明王像、及び護摩壇両脇机と礼盤は鴻巣市有形文化財に指定されています。行田救済菩薩十五霊場9番です。
山号 | 無量山 |
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院号 | - |
寺号 | 真福寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 鴻巣市屈巣3715-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺の創建年代は不詳ながら、僧證範が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(屈巣村)
眞福寺
新義眞言宗、長野村長久寺末、宮殿山と云、開山の僧を證範と呼べり、本尊不動を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
真福寺所蔵の文化財
- 真福寺の不動明王(鴻巣市指定有形文化財)
- 真福寺の護摩壇両脇机と礼盤(鴻巣市指定有形文化財)
真福寺の不動明王
この不動明王は江戸時代に造られた木造の坐像で、像高六〇センチメートル、横幅四六センチメートルである。半跏趺坐の不動明王像は全国的にも珍しい。
不動明王は五大明王の一尊で、大日如来の化身として一切の魔性を降伏させるために忿怒の相をしているといわれ、絵画や像では大火焔の中にあって右手に利剣、左手に羂索(縄)をそれぞれ握り、内外の諸難や穢れを焼きつくし、諸悪を退散させようとする姿で表現される。
水晶でできた玉眼の怖い顔つきに似合わず、体つきには女性的である。(鴻巣市教育委員会掲示より)
真福寺の護摩壇両脇机と礼盤
護摩壇は、密教で護摩の修法を行なうとき使用する道具のことである。当眞福寺の護摩壇両脇机と礼盤には、以下の銘文がそれぞれ記されている。
護摩壇両脇机二基
安永八已亥年十月吉 大工 野村 飯塚佐次馬
願主 真福寺休隠圓明 施主 屈巣邑 惣村中
礼盤
元文二丁已暦九月吉日
施主 廿三夜講中月並十六日念佛講中 志有縁無縁幷旦中
ふたつの銘文から護摩壇両脇机は、安永八年(一七七九)に真福寺の第七世住職の圓明の発願によるもので、製作した人は野村(現行田市野)在住の大工飯塚佐次馬であったこと、また、礼盤は元文二年(一七三七)に二十三夜講と十六日念仏講中の有志によって寄進されたことがそれぞれ分かる。(鴻巣市教育委員会掲示より)
真福寺の周辺図