満願寺。源氏所縁の古刹
満願寺の概要
真言宗豊山派寺院の満願寺は、若林山明王院と号します。創建年代は不詳ですが、清和源氏の初代源経基が創建したとも源頼義が奥州征伐の際に創建したとも、源頼義の家臣若林某が住んでいた地ともいい、鎌倉時代以前からの言い伝えが残る源氏所縁の古刹です。往古は供僧も多く、多くの僧坊・末寺を擁した大寺であったといい、天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を拝領しています。
山号 | 若林山 |
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院号 | 明王院 |
寺号 | 満願寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 鴻巣市箕田1345 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 永代使用受付中 |
備考 | - |
満願寺の縁起
満願寺の創建年代は不詳ですが、清和源氏の初代源経基が創建したとも源頼義が奥州征伐の際に創建したとも、源頼義の家臣若林某が住んでいた地ともいい、鎌倉時代以前からの言い伝えが残る古刹です。往古は供僧も多く、多くの僧坊・末寺を擁した大寺であったといい、天正19年(1591)には、龍昌寺と共に寺領5石の御朱印状を拝領しています。
新編武蔵風土記稿による満願寺の縁起
満願寺
新義真言宗、龍珠院の末なり。若林山明王院と号す。寺領5石の御朱印は龍珠院と同年(天正19年)に賜ふ。本尊不動を置り。什寶に椀のかけ損じたるものあり。頼義が用ひし膳具なりと云。全く偽物なるべけれど、真として珍蔵すれば、しばらく記しをきぬ。
大御堂。
本尊三尊の弥陀を安ず。相傳ふ往昔源経基武蔵の国司として当所に住せし頃、此像を帰依の余り、無量寿堂を営んとて、其地を卜せんとして、城外に出て北に向ひ、矢を發ちて其落る地を験しに堂宇を造立する者是なり。其後頼義奥州下向の時も此像に祈誓して、感應ありしより再び造営すと云。一説に当所は頼義の旧跡にて、奥州下向の砌初て此堂を造立せしと。又云さにはあらず、頼義の臣若林某の住せし地なりと。共に口碑に傳ふるのみにて證とすることなし。かかる旧地の堂なれば、古へ供僧もよほど多かりし由、今も除地のみ存して廃寺となれつもの八ヶ坊、及び現存のものに寺あり、左の如し。
龍泉寺。今村内にあり、別に出す。
大門坊。今隣村八幡田村にあり。
持寶坊。
東林坊。
清月坊。
専住坊。
観音寺。
角蔵坊。
図能坊。
金蔵坊。以上は八坊の除地は今当寺にて預れり。
天満宮。
鐘楼。鐘は享保10年鋳しものなり。(新編武蔵風土記稿より)
満願寺のもと末寺
満願寺には、龍泉寺という末寺が箕田にありましたが、明治5年廃寺となっています。
龍泉寺
同宗(新義真言宗)、満願寺の末なり。古は同寺の境内にある大御堂の供僧なりしと云。(新編武蔵風土記稿より)
満願寺の周辺図