医王寺。鴻巣市大芦にある真言宗豊山派寺院

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医王寺。大芦学校開校地

医王寺の概要

真言宗豊山派寺院の医王寺は、瑠璃山玉蔵院と号します。医王寺の創建年代等は不詳ながら、当寺過去帳に当地大芦開発について記され、延元年間(1336-1340)に上野の郷士堀口貞満が芦原を開拓したとしていることから、当地が開拓された延元年間に当寺も建立したのではないかともいいます。その後賢秀和尚が江戸時代前期頃に開山しています。

医王寺
医王寺の概要
山号 瑠璃山
院号 玉蔵院
寺号 医王寺
本尊 薬師如来像
住所 鴻巣市大芦2213
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



医王寺の縁起

医王寺の創建年代等は不詳ながら、当寺過去帳に当地大芦開発について記され、延元年間(1336-1340)に上野の郷士堀口貞満が芦原を開拓したとしていることから、当地が開拓された延元年間に当寺も建立したのではないかともいいます。その後賢秀和尚が江戸時代前期頃に開山しています。

境内石碑による医王寺の縁起

瑠璃山医王寺庫裡建立記念
当山は真言宗豊山派瑠璃山玉蔵院医王寺と称し、開山は賢秀法印で、創立は不明だが、慶長十二年(一六〇七年)御検地水帳には、大芦医王寺と、記載されている。又、過去帳には、当大芦は、延元年中(一三三六年~一三四〇年)中上野の郷士、堀口貞満によって、芦原を開拓した、故に大芦と云う。その当寺、建立されたと思われる。
本尊は、阿弥陀如来であったが、二回の火災により焼失し、現在は薬師如来を本尊として、祭り上げている。
本堂・庫裡は、建立年代は不明であるが、歴史有る建物であり、檀家各位の協力で屋根修理を初め長年の間、修理しながら維持管理して、現在に至ってまいりましたが、長年の風雨にはかてず、ここで、十二年毎の寅の年、ご本尊薬師如来の御開帳にあたり長年の発願であった、庫裡の建立が、総代世話人はじめ、檀家各位の熱意によって発願され、ここに立派に新築されました。これも本尊薬師如来の、広大無辺は加持力と共に檀信徒各位の供養心の賜物である。
ここに、檀家各位の一層のご多幸とご繁栄を至心に祈願し永代に記すものである。(境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による医王寺の縁起

(大蘆村)
醫王寺
新義眞言宗、箕田村龍珠院門徒、瑠璃山玉蔵院と號す、開山賢秀寂年詳ならず、二世の僧秀榮は貞享三年九月五日化す、本尊薬師運慶の作といふ、
彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)

「吹上町史」による医王寺の縁起

医王寺
慶長十二年(一六〇七)大芦村御検地水帳によれば大芦の荒川堤防を眼前に望むとの寺は、荒川が今の路となって堤防が構築される寛永六年以前から、ここに創建されていたもので、四〇〇年にも及ぶ長い歴史を今日にあゆみ続けているわけである。開山第一世は賢秀和尚、第二世の僧秀英和尚は、『新記』によると貞享三年(一六八六)九月五日になくなったと記されている。
天明七年(一七八七)に全寺堂焼失、翌八年再建されたというが、文化六年(一八〇九)神社寺院境内書上帳(大芦・秋池)によると、「本堂萱葺、梁間五間、桁行七間、但礎斗有之、寛政十二申年(一八〇〇)焼失、当時再建中御座候」とあり天明八年再建の寺本堂の規模を知ることができる。焼失後九年にして漸く再建に取り掛り、調査の当時再建中であったと記している。天明年間(一七八一~八九)から寛政年間(一七八九~一八〇一)にかけて、諸国を襲った大暴風雨、大洪水、干ばつ、疫病流行、ききん、凶作等のため、大芦村も例外ではなく復興再建も思うにまかせなかったものと思われる。
新義真言宗豊山派、本郡箕田村(現鴻巣市)竜昌寺の末で、瑠璃山玉蔵院と号している。
本尊は、桧造の薬師如来像で、伝えは運慶の作というが、吹上町教育委員会の寺院調査報告書によること、桃山時代の作と推定されている。寄木造・漆箔・彫限で、宝髪は清涼寺式釈迦如来と同形で、像高は一八センチと小さいが金箔の美しい像である。
本堂西側には、御岳山と呼んでいる小高い塚がある。塚上には、文久三癸亥年(一八六三)五月建立の御嶽山座王大権現と刻んだ第一回登山記念碑が立っている。時の大芦村名主堀口勘兵衛が講元となり、在俗信者の組織である大芦御岳講の面々が、木曾御岳山に登拝したことを記念するために建てたものである。在俗の信者が精進潔斎なしの自由な登山ができるようになったのは、普寛行者が六二歳で寛政四年(一七九二)単身登はんに成功したことがきっかけになったという。普寛行者は、御岳教教祖で、秩父郡大滝村の産で山岳信仰の苦行を重ね、後江戸に住み府下の修験者の長にも任ぜられた人である。登山記念碑の立つ塚のふもとに、元治元年(一八六四)建立の普寛行者の石、像があり、記念碑とともに御岳信仰の盛んであったことを物語っている。(「吹上町史」より)


医王寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「吹上町史」