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四條日枝神社。越谷市東町の神社

四條日枝神社の概要

四條日枝神社は、越谷市東町にある日枝神社です。四條日枝神社の創建年代等は不詳ですが、四條村が開村した室町時代末期には創建されていたといい、四條村の鎮守社だったといいます。明治時代には村社に列格、村内にあった天神社、稲荷社、辨天社、水神社を合祀の上、天神社の地に遷座したといいます。

四條日枝神社
四條日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋神、宇迦之御魂神・菅原道真公・市杵嶋姫命、罔象女命
合祀 -
境内社 稲荷社、稲荷社、古峰社、塞神2社、宇賀神
祭日 -
住所 越谷市東町3-100
備考 四條村鎮守、旧村社



四條日枝神社の由緒

四條日枝神社の創建年代等は不詳ですが、四條村が開村した室町時代末期には創建されていたといい、四條村の鎮守社だったといいます。明治時代には村社に列格、村内にあった天神社、稲荷社、辨天社、水神社を合祀の上、天神社の地に遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による四條日枝神社の由緒

(四條村)
山王社
村の鎮守、妙音院の持、下の四社持同じ
末社。稲荷。
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天神社
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稲荷社
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辨天社
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水神社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による四條日枝神社の由緒

四條の地名は、条里制の遺名であるといわれるが、永禄十年(一五六七)七月十九日の太田氏資書状(平林寺文書)に「平林寺領馬籠四條之村」とあるのが文献への初出である。したがって、室町時代の末期には既に村が開発されていたことが推測され、その鏡守として祀られてきた当社もまた村の開発に伴って創建されたものと思われる。
『風土記稿』四條村の項では、当時の村内の神社の祭祀状況について「山王社 村の鎮守、妙音院の持、下の四社持同じ、末社 稲荷○天神社○稲荷社○水神社」と記している。これらの神社のうち、山王社が神仏分離によって日枝大神社と社号を改めて村社となったが、その他の社は無格社にとどまったため、政府の合祀政寮によって明治四十一年に日枝大神社に合祀された。しかし、実際は天神社の社地に日枝大神社を移し、そこに他の諸社を合祀する形で神社の統合が進められたものらしく、「山王様は集会所(妙音院の跡地)の北にあった」との伝えがあり、今なお当社を「天神様」と呼ぶ人も多い。
その後、中川の改修工事に伴って大正十年に境内をやや西に移転し同十二年の関東大震災では社殿倒壊の被害を受けた。昭和十九年には日枝神社と再度改称し、同二十二年に鳥居を改修するなど整備を進めてきたが、境内が吉越橋の建設用地となったため、再度移転を余儀なくされ、昭和六十二年に現在の社地に社殿を建立して遷座した。(「埼玉の神社」より)


四條日枝神社の周辺図


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