旧妙音院。西新井組中川通四箇領八十八箇所
旧妙音院の概要
旧妙音院は、猿青山観音寺と号していた寺院です。妙音院の創建年代は不詳ですが、稲荷山金剛寺の末寺であったといいます。明治維新後稲荷山金剛寺に合寺したといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所62番となっていました。
山号 | 猿青山 |
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院号 | 妙音院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 越谷市東町2金剛寺四条東墓地 |
宗派 | |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
旧妙音院の縁起
旧妙音院の創建年代は不詳ですが、稲荷山金剛寺の末寺であったといいます。明治維新後稲荷山金剛寺に合寺したといいます。
新編武蔵風土記稿による旧妙音院の縁起
(四條村)妙音院
新義真言宗、別府村慈眼寺(註:現稲荷山金剛寺)末、猿青山観音寺と號す、本尊正観音。
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太子堂。聖徳太子の自作を腹籠りとす、頭計にて體はなしと云、霊験著しく先年故ありて足立郡千住宿へ移せしに、當村及び彼村の者多く病災に罹りしゆへ、霊意に適はざるならんとて、元の如く當村へ復せりといへり。村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
旧妙音院の周辺図