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伊原八幡神社。越谷市川柳町の神社

伊原八幡神社の概要

伊原八幡神社は、越谷市川柳町にある八幡神社です。伊原八幡神社の創建年代等は不詳ですが、伊原村で新田開発が進められ、石高が増大したことが判る慶安2-3年(1649-50)頃に新田の鎮守として祀られたのではないかといいます。

伊原八幡神社
伊原八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
合祀 -
境内社 稲荷社、御嶽社
祭日 -
住所 越谷市川柳町3-191
備考 -



伊原八幡神社の由緒

伊原八幡神社の創建年代等は不詳ですが、伊原村で新田開発が進められ、石高が増大したことが判る慶安2-3年(1649-50)頃に新田の鎮守として祀られたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による伊原八幡神社の由緒

(伊原村)八幡社
地福院の持
末社。稲荷。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による伊原八幡神社の由緒

川柳村は明治二十二年の町村制施行により合併村の柿木村のカ、伊原村のハ、青柳村のヤ、麦塚村の、ギのそれぞれの名称の一字を採り、当村名にしたという。このうちの伊原村は、慶長十八年(一六一三)の伊原村年貢割付状(「西方村旧記」越谷図書館蔵)に年貢高は米二三三石余と見え、既に一村として存在していたことがわかる。更に、慶安ニー三年(一六四九~五〇)の『田園簿』では、高は田方四五四石余と増大しており、この間に村内で新田開発が進められたことが推測できる。
村内には神社が二社あり、一つは村の鎮守である久伊豆社で、成就院が別当であり本田地区に鏡座し、もう一方が当社で、地福院が別当であり、新田地区に鎮座する。右の村高の推移から見て、恐らく当社は、新田開発が進められる中で祀られたものであろう。
地福院は八幡山光明寺と称し、明治初年の神仏分離により境内を同じくしていた同寺は廃寺となった。その後本尊は成就院に移された。当社は無格社であったため、明治政府の合祀政策の対象となったが、氏子の厚い信仰に支えられ、合祀を免れた。口碑によれば、当社の所有する多くの神田が鎮守社に移管されることを、氏子が憂えたためという。当社の祀職である青木家には寛政四年(一七九二)の棟札の写しが残されており、本殿と思われる建物を修繕した記録がある。(「埼玉の神社」より)


伊原八幡神社の周辺図


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