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小曽川久伊豆神社。越谷市小曽川の神社

小曽川久伊豆神社の概要

小曽川久伊豆神社は、越谷市小曽川にある久伊豆神社です。小曽川久伊豆神社の創建年代等は不詳ながら、小曾川は室町時代末期には開拓されていた地であることから、室町時代末期には祀られていた可能性があるといいます。江戸期には小曾川村と砂原村の鎮守社として祀られ、明治維新後には村社に列格、明治45年に天神社と道祖神社を合祀したといいます。

小曽川久伊豆神社
小曽川久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 金毘羅、大杉社
祭日 例大祭7月11日
住所 越谷市小曽川434
備考 小曽川村鎮守、旧村社



小曽川久伊豆神社の由緒

小曽川久伊豆神社の創建年代等は不詳ながら、小曾川は室町時代末期には開拓されていた地であることから、室町時代末期には祀られていた可能性があるといいます。江戸期には小曾川村と砂原村の鎮守社として祀られ、明治維新後には村社に列格、明治45年に天神社と道祖神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による小曽川久伊豆神社の由緒

(小曾川村)久伊豆社
當村及砂原村の鎮守とす、古へ爰は砂原村の地内なりと云、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による小曽川久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<越谷市小曾川四三四(小曾川字居耕地)>
『風土記稿』によれば、小曾川の旧家である中嶋家の先祖は、岩槻の太田氏に仕えた小曾川小五郎という武士で、永禄六年(一五六三)閏十二月二十九日の虎松丸印判状には、当地の小曾川小五郎が勲功によって亀戸の一部の地を与えられていることが記されている。したがって、小曾川の村は室町時代の末期には開かれていたと推測される。
『明細帳』には「元禄元年(一六八八)六月十四日創立とあるが、華蔵院・西福院両別当より奉納され、内陣に安置されている二枚の同型の十一面観音像の懸仏に「承応二年癸巳(一六五三)十一月十四日」の墨書があることから、元禄以前の創立であることが分かる。また、化政期(一八〇四-三〇)の『風土記稿』によれば、当社は小曾川村及び砂原村の鎮守で、社地はもと砂原村地内であったという。
神仏分離を経て、当社は村社となり、明治四十五年に政府の合祀政策に伴い、地内の無格社の天神社と道祖神社を合祀したことが『明細帳』に載る。現在、天神社の天満天神像が当社の本殿に奉安される。また、天神社の鳥居は合祀の際、砂原の人とこちらの人が綱引きをして所有権を争い、砂原の人が勝ったために砂原の方の久伊豆神社に取られてしまったという。一方、「道陸神様」と呼ばれる道祖神社は今も平野孝家邸内に残っており、足の悪い人が拝むと治るとして信仰されている。なお、華蔵院と西福寺は明治六年に廃寺となった。(「埼玉の神社」より)


小曽川久伊豆神社の周辺図