上七左大沼社。越谷市七左町の神社
上七左大沼社の概要
上七左大沼社は、越谷市七左町にある大沼社です。上七左大沼社の創建年代は不詳ながら、太田道灌による岩槻城築城に際して当地周辺で犠牲となった人々を祀るため、当地を開発した会田七左衛門が勧請したと伝えられます。大正15年上七左稲荷神社に合祀されています。
社号 | 大沼社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
合祀 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 越谷市七左町4 |
備考 | 上七左稲荷神社に合祀 |
上七左大沼社の由緒
上七左大沼社の創建年代は不詳ながら、太田道灌による岩槻城築城に際して当地周辺で犠牲となった人々を祀るため、当地を開発した会田七左衛門が勧請したと伝えられます。大正15年上七左稲荷神社に合祀されています。
新編武蔵風土記稿による上七左大沼社の由緒
(七左衛門村)
持福院
觀照院門徒、日照山と號す、本尊彌陀を安ず、
兵主大沼明神社。祭神詳ならず、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上七左大沼社の由緒
稲荷神社(七左町7-286七左衛門字寺裏)項
ちなみに、素戔嗚尊を祭神とする大沼社は、太田道灌による岩槻城築城の際、その材木を積んだ船が当地の沼を渡ろうとしたが、沈没して多数の犠牲者を出し、後に会田七左衛門がこの地を開拓の時に、それらの人々の霊を祀ったのに始まると伝える。(「埼玉の神社」より)
上七左大沼社の周辺図