五社稲荷神社。越谷市南荻島の神社

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五社稲荷神社。越谷市南荻島の神社

五社稲荷神社の概要

五社稲荷神社は、越谷市南荻島にある神社です。五社稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、霊元天皇の御代皇紀1663年に鎮座していたことが古文書に残っているといいます。荻島村の鎮守社として祀られ、元禄庚午年(1690)には懸仏が奉納され、享保9年(1724)には神祇管領卜部(吉田)兼敬より正一位の神位幣帛を拝領しています。明治4年村社に指定され、明治42年には字左敷田の熊野神社、字外野合の諏訪神社、字沼迎の稲荷神社、字戸井の愛宕神社を合祀しています。

五社稲荷神社
五社稲荷神社の概要
社号 五社稲荷神社
祭神 保食命・大己責命・倉稲魂命・太田尊・大宮賣命
合祀 -
境内社 猿田彦大神、道祖神、疱瘡神、天満宮、浅間大神、水神社
祭日 秋大祭10月17日
住所 越谷市南荻島4-1-1
備考 旧荻島村鎮守、旧村社



五社稲荷神社の由緒

五社稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、霊元天皇の御代皇紀1663年に鎮座していたことが古文書に残っているといいます。荻島村の鎮守社として祀られ、元禄庚午年(1690)には懸仏が奉納され、享保9年(1724)には神祇管領卜部(吉田)兼敬より正一位の神位幣帛を拝領しています。明治4年村社に指定され、明治42年には字左敷田の熊野神社、字外野合の諏訪神社、字沼迎の稲荷神社、字戸井の愛宕神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による五社稲荷神社の由緒

(荻島村)
稲荷社
村の鎮守とす、玉泉院持下同じ、
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〇熊野社
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馬頭院
(新義眞言宗、末田村金剛院門徒、)本尊前に同じ(玉泉院と同じく彌陀)
〇諏訪社
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明王院
(新義眞言宗、末田村金剛院門徒、)本尊不動を安ず
〇愛宕社(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による五社稲荷神社の由緒

社殿境内整備記念碑
当社の創建は詳らかではないが、古文書に最も古く見えるのは、第一一二代霊元天皇の御代一六六三年(凡そ三三四年前)御鎮座されていたことは歴然であります。その後寛延二年天保二年にそれぞれ再建造営がなされました。享保九年十一月十九日神祇官卜部兼敬より神階宗源宣旨を以って正一位の神位幣帛を授かりました。明治四年に指定村社に、同四十二年左敷田の熊野神社、外野合の諏訪神社、沼迎の稲荷神社、戸井の愛宕神社を合祀しました。大正六年御大典事業として境内全体の整備、昭和四十二年には社殿の改修築がなされました。今般祖先が残されました功績を称えながら、平成の御大典を寿ぎ、永く子孫に守り伝えるべく整備事業の一端を記し、氏子皆さまの改築を祈念するものであります。(境内石碑より)

「埼玉の神社」による五社稲荷神社の由緒

五社稲荷神社<越谷市南荻島三六五九(南荻島字出津)>
元荒川右岸の平野の一角に位置する南荻島は、江戸時代には越ヶ谷領に属し荻島村と称していたが、明治十二年に南荻島村と改称した。当社は、この南荻島の鎮守として祀られてきた神社であり、『風土記稿』荻島村の項には「稲荷社 村の鎮守とす、玉泉院持」と載る。
境内に建つ固有境内地譲与録碑に刻まれている由緒によれば、当社は享保九年(一七二四)十一月十九日神祇管領卜部(吉田)兼敬より宗源宣旨を以て正一位の神位幣帛を賜り、寛延二年(一七四九)に社殿の造営を行い、更に天保二年(一八三一)に再建したという。本殿には、相殿のほかに、伏見稲荷別当愛染寺から受けた正一位稲荷大明神の神璽、狐に乗った荼枳尼天像の御影を中央に配した懸仏、稲穂を担いで狐に乗った姿の稲荷大明神像が安置されており、懸仏には「奉寄進稲荷大明神御正体施主荻嶋村佐野俊筭阿達次良兵衛 元禄庚午年(一六九〇)九月吉祥日別玉泉院尊湲時代」の銘文、神像には嘉永五年(一八五二) に塗り替えを行った旨の墨書がある。
神仏分離の後は玉泉院の管理を離れ、明治四年に村社になり、同四十二年八月十七日に字左敷田の熊野神社、字外野合の諏訪神社、字沼迎の稲荷神社、字戸井の愛宕神社を合祀した。なお、当社の南方に文教大学のキャンパスができたため、元荒川まで約三〇〇Mまっすぐに続く参道の周辺も、近年は新興住宅地の様相を呈してきている。(「埼玉の神社」より)


五社稲荷神社の周辺図