清蔵院。越谷市蒲生本町にある真言宗智山派寺院
清蔵院の概要
真言宗智山派寺院の清蔵院は、慈眼山と号します。清蔵院の創建年代は不詳ながら僧祐範が開山、僧永智(明暦4年1658年寂)が中興したといいます。武蔵国八十八ヶ所霊場16番です。
山号 | 慈眼山 |
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院号 | 清蔵院 |
寺号 | - |
住所 | 越谷市蒲生本町13-41 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
清蔵院の縁起
清蔵院の創建年代は不詳ながら僧祐範が開山、僧永智(明暦4年1658年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による清蔵院の縁起
(蒲生村)清蔵院
新義真言宗、足立郡原村密蔵院末、慈眼山と號す、本尊は十一面観音なり、開山祐範寂年を傳へず、中興僧永智明暦四年三月二十一日寂す
表門。龍獅子獏の彫ものあり、古色に見ゆ、左甚五郎彫りしものなりと云
鐘楼。鐘は元文四年の銘あり。
閻魔堂。
辨天社(新編武蔵風土記稿より)
清蔵院所蔵の文化財
- 清蔵院の山門(市指定有形文化財)
清蔵院の山門
この山門は、屋根など部分的に改造されているが、その棟札により寛永十五年(一六三八)関西の工匠による建立であるのが確認される。ことに、欄間に掲げられている龍の彫刻はじめ虹梁の彫刻なども江戸初期の素朴な様式をうかがわせている。
なお、この山門の龍は巷間の伝説では左甚五郎の作といわれ、夜な夜な山門を抜け出して畑を荒らしたことから、これを金網で囲ったという。おそらくこの山門の建立者は、日光東照宮造営に動員された工匠の一人で、日光への往返に世話になった因縁から、東照宮竣工(寛永十三年)後再び、国元から蒲生に来てこの山門を建立したものであろう。
越谷では数少ない江戸時代初期の建造物として、また日光東照宮にまつわる伝説を残す歴史的資料として貴重なものである。(越谷市教育委員会掲示より)
清蔵院の周辺図