天嶽寺。太田道灌の伯父開山、武蔵国三十三ヶ所霊場
天嶽寺の概要
浄土宗寺院の天嶽寺は、至登山遍照院と号します。天嶽寺は、太田道灌の伯父と伝えられる専阿源照が文明10年(1478)開山、当時は小田原北条氏の城砦に用いられ、北条氏により寺領の寄進を受けていたといいます。天正19年には徳川家康から寺領15石の御朱印状を拝領、5ヶ寺の塔頭を擁していたといいます。武蔵国三十三ヶ所霊場27番です。
山号 | 至登山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | 天嶽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 越谷市越ヶ谷2549 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | 天嶽寺あおい会館 |
備考 | - |
天嶽寺の縁起
天嶽寺は、太田道灌の伯父と伝えられる専阿源照が文明10年(1478)開山、当時は小田原北条氏の城砦に用いられ、北条氏により寺領の寄進を受けていたといいます。天正19年には徳川家康から寺領15石の御朱印状を拝領、5ヶ寺の塔頭を擁していたといいます。
新編武蔵風土記稿による天嶽寺の縁起
(越ヶ谷宿)天嶽寺
浄土宗、京都知恩院末、至登山遍照院と號す、寺傳に云開山専阿源照は、太田道灌の伯父なりと、依て太田下野守當寺を建立せる由をのす、されど源照は道灌の伯父なること、外に拠なければ疑ふべし、其後四世玄澄といへる僧住職たりし時、天正十九年十一月東照宮當宿へ成せられ、寺領十五石を附らる、台徳院殿・大猷院殿も御猟のついで當寺に来らせ賜ひ、御前にて法問を命ぜられ、又上意ありて江戸にめされ、登城せしことありしといふ、本尊は阿弥陀を安置なせり
表門。中門、楼上に釈迦を安ず。
鐘楼。元文元年十一月再鋳の鐘をかけり。
熊野社。観音堂。地蔵堂二宇。
雲光院。法久院。遍照院。美樹院。松樹院。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県掲示による天嶽寺の縁起
越ヶ谷天嶽寺
天嶽寺は浄土宗の寺で、山号を至登山遍照院と称し、文明十年(一四七八)専阿源照の開山と伝えられている。
古くは小田原北条氏の城砦に用いられたといわれ、北条氏により寺領寄進状を蔵していたと伝えられる。天正十九年(一五九一)十一月、徳川家康より高十五石の寺領寄進朱印状が交付されている。徳川家康は越谷宿をしばしば訪れているが、二代将軍の秀忠、三代将軍家光は狩猟のついでにこの寺にたちよっている。
なお、天嶽寺は雲光院、法久院、遍照院、美樹院、松樹院という五か寺の塔頭があり、格式の高い寺院であった。
また、入口いんは庚申塚と呼ばれた小高い丘があり、ここには延宝元年(一六七三)の文字庚申塔や元禄八年(一六九五)の青面金剛彫像庚申塔など、数多くの庚申塔が建てられている。また、参道にそった庚申塚の下にも「かハしも二郷半、川かみかすかべ」などと道しるべが付された大供養塔や猿田彦大神塔などが並んでいる。このほか境内には方言学の祖といわれる越ヶ谷吾山の句碑などが建てられている。
天嶽寺の本尊は阿弥陀如来であるが、釈迦仙の涅槃像(寝仏)も安置されている。これは珍しい金仏として越谷市指定の文化財となっている。(埼玉県掲示より)
天嶽寺所蔵の文化財
- 釈迦仙の涅槃像(越谷市指定文化財)
天嶽寺の周辺図