宝正院。武蔵国三十三ヶ所霊場
宝正院の概要
真言宗豊山派寺院の宝正院は、清瀧山と号します。宝正院の創建年代は不詳ですが、賢栄(天正4年1576年寂)が天文年間(1532-1555)に開基したといいます。江戸期には東正寺と号し、地内に門徒寺2ヶ寺、庵室2庵を擁していました。地内にあった観音寺より引継ぎ武蔵国三十三ヶ所霊場30番です。
山号 | 清瀧山 |
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院号 | 宝正院 |
寺号 | - |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 越谷市大字増森1-21-26 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝正院の縁起
宝正院の創建年代は不詳ですが、賢栄(天正4年1576年寂)が天文年間(1532-1555)に開基したといいます。江戸期には東正寺と号し、地内に門徒寺2ヶ寺、庵室2庵を擁していました。
新編武蔵風土記稿による宝正院の縁起
(増森村)
東正寺
新義眞言宗、下總國清水村金乗院末、清瀧山不動院と號す、本尊胎蔵界大日を安ず、坐像にて長一尺餘、運慶の作と云、天文二十一年の起立にして、開山賢永天正四年八月四日遷化せり、
鐘樓。鐘は近年の鑄造なり、
不動堂
天神社
清瀧社
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觀音寺
同宗同末(新義眞言宗、下總國清水村金乗院末)、歴却山と號す、大永三年尊賢と云僧の起立、本尊阿彌陀を安ず、 觀音堂
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金蔵院
東正寺門徒、下二ヶ寺同じ、元和元年僧良識の草創なり、本尊十一面觀音は良辨の作と云、立像にて長一尺三寸餘、
不動堂
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眞正寺
同門徒(東正寺門徒)、慈光山と號す、寛永六年僧賢明の草創なり、本尊阿彌陀、
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慈光庵
薬師を安ず、眞正寺持、
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東光庵
ここも薬師を安ず、東正寺持(新編武蔵風土記稿より)
宝正院の周辺図