浄山寺。越谷市野島にある曹洞宗寺院

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浄山寺。鼻紙朱印状

浄山寺の概要

曹洞宗寺院の浄山寺は、野嶋山と号します。浄山寺は、貞観2年(860)慈覚大師が創建、天正年間まで天台宗慈福寺と号していましたが、僧明山の代に曹洞宗に改宗、德川家康が鷹狩に来た際寺領300石の御朱印状を与えようとしたところ、時の住職が過分であると断ったため、鼻紙に3石と記載した朱印状(鼻紙朱印状)を与えられ、浄山寺と改めたといいます。

浄山寺
浄山寺の概要
山号 野嶋山
院号 -
寺号 浄山寺
本尊 地蔵菩薩像
住所 越谷市野島32
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 浄山寺耕雲閣を一般に開放
備考 -



浄山寺の縁起

浄山寺は、貞観2年(860)慈覚大師が創建、天正年間まで天台宗慈福寺と号していましたが、僧明山の代に曹洞宗に改宗、德川家康が鷹狩に来た際寺領300石の御朱印状を与えようとしたところ、時の住職が過分であると断ったため、鼻紙に3石と記載した朱印状(鼻紙朱印状)を与えられ、浄山寺と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による浄山寺の縁起

(野島村)浄山寺
禅宗曹洞派、足立郡里村法性寺末、野嶋山と號す、當寺は貞観二年慈覚大師の建立にて、本尊延命地蔵の立像四尺餘、則大師の作なりと傳へ云、天正年中迄天台宗にて慈福寺と號す、時の住僧を明山と云、此頃里村法性寺四世震龍當寺に勤学せしが、東照宮越ヶ谷邊御放鷹の時、本尊霊験を聞し召され、寺領三石の御朱印を賜はり、此地霊にして山鬱密として浄しと、上意ありて今の寺號を命ぜらるると云、又僧震龍御帰依あるをもて明日の後住となし、曹洞派に改め中興とす、今本尊を片目地蔵と唱ふ、信仰するもの多し。
寺寶。錫杖。古色のものなり其由来定かならず。
鐘楼。延亨三年鋳造の鐘をかく。
久伊豆社。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)

越谷市仏像調査報告書による浄山寺の紹介

野嶋山浄山寺は「新編武蔵風土記稿」によると
浄山寺
禅宗曹洞派、足立郡里村法性寺末、野嶋山と號す、當寺は貞観二年慈覚大師の建立にて、本尊延命地蔵の立像四尺餘、則大師の作なりと傳へ云、天正年中迄天台宗にて慈福寺と號す、時の住僧を明山と云、此頃里村法性寺四世震龍當寺に勤学せしが、東照宮越ヶ谷邊御放鷹の時、本尊霊験を聞し召され、寺領三石の御朱印を賜はり、此地霊にして山鬱密として浄しと、上意ありて今の寺號を命ぜらるると云、又僧震龍御帰依あるをもて明日の後住となし、曹洞派に改め中興とす、今本尊を片目地蔵と唱ふ、信仰するもの多し。
といわれ、三石の朱印状は俗に鼻紙朱印状とよばれるもので、徳川家康の前で住職が「過分なり」として辞したので、家康は袖の中から鼻紙を出し献香料として三石を賜う由を書いて差し出した、と伝えられている。
本尊の地蔵菩薩は「片目地蔵」とも呼ばれ、伝説によるとこの地蔵は毎朝未明村内を鉄杖を持って起こして歩いたがある朝茶園で切り株につまづき片目を傷つけてしまった。戻って寺の門前の池で目を洗うと、池の魚はみな片目になってしまった。といわれ以後この村では茶の木は作らなくなったといわれている。古くから信仰のあつかった本尊地蔵菩薩は現在秘仏とされているため調査の際写真撮影や法量測定を中止し、燈明及び小さな懐中電灯で特に拝見させていただいた。
像は木造で像高一メートル程の一木造とも見えるがっしりとした体躯の像である。彩色は極めてよく残っているのは秘仏のためであろうか。時代は室町期を遡るとは考えにくいが詳細は機会を改めたい。但し、本像は古くから信仰が強く、江戸時代においてはかなり出開帳をしており、その割には彩色が良いのは塗り直しが行われている可能性もある。
・寄進人馬帳(文化一三年八月序)
・順行人馬帳(文政四年三月序)
・願行人馬帳(嘉永元年三月序)
以上三冊でいづれも縦三〇センチメートル、横二一センチメートルの冊子で、序に年号と浄山寺及び印があり、以降は各村役が出開帳の際、本尊が移動するのに必要な人手と運搬用の馬をそれぞれの村や寺で用意し、次の開帳先まで送り届け、それについての人足や馬の数、日付、送り届け、それについての人足や馬の数、日付、送り届けた先などを書いたものである。(越谷市仏像調査報告書より)


浄山寺所蔵の文化財

  • 浄山寺の朱印状(越谷市指定文化財)
  • 浄山寺の大鰐口(越谷市指定文化財)

浄山寺の朱印状

野島浄山寺は、貞観二年(八六〇)慈覚大師の建立、本尊延命地蔵尊は大師一刀三礼の作と伝えられる。もと天台宗に属し慈福寺と号したがのち曹洞宗に転じ寺号も浄山寺と改められた。
天正十九年(一五九一)德川家康が当寺に詣でた折、寺領として三〇〇石を寄進したが、時の住職はこの寄進を過分であると辞退、それで家康は懐紙をとりだし高三石と記して住職に与えた。このため家康の朱印状を「鼻紙朱印状」と呼んだと伝える。なお、当寺には二代秀忠を除き、代々の朱印状が保存されている。(越谷市教育委員会掲示より)

浄山寺の周辺図