胄山神社。熊谷市胄山の神社

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胄山神社。延喜式内社論社

胄山神社の概要

胄山神社は、熊谷市胄山にある神社で、甲山古墳上に鎮座しています。胄山神社は、武蔵国造兄多毛比命の墳墓と伝えられる甲山古墳を、慶長13年(1608)に村人が発掘したところ、疫病が流行したことから、発掘地を埋め戻し、祟りを鎮めるために八幡神を祀ったといいます。明治初年に冑山神社と改称、明治42年に甲山村の鎮守だった日吉神社(山王社)と合併、大正6年に日吉神社で使用していた拝殿を当地へ移築したといいます。

胄山神社
胄山神社の概要
社号 胄山神社
祭神 兄多毛比命、譽田別命、大山咋命、素戔嗚尊
相殿 -
境内社 日吉神社、鎮火神社
祭日 山王様4月15日、天王様7月14・15日、お日待10月15日、鎮火祭12月8日
住所 熊谷市胄山
備考 -



胄山神社の由緒

胄山神社は、武蔵国造兄多毛比命の墳墓と伝えられる甲山古墳を、慶長13年(1608)に村人が発掘したところ、疫病が流行したことから、発掘地を埋め戻し、祟りを鎮めるために八幡神を祀ったといいます。明治初年に冑山神社と改称、明治42年に甲山村の鎮守だった日吉神社(山王社)と合併、大正6年に日吉神社で使用していた拝殿を当地へ移築したといいます。

新編武蔵風土記稿による胄山神社の由緒

(甲山村)
八幡社
長福寺持、これ甲山の頂にあり、社の後に神木とて圍み一丈五尺許の古松あり、
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山王社
村の鎮守
別當長福寺。新義眞言宗、相上村華蔵院末、本尊彌陀、
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天王社
長福寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による胄山神社の由緒

胄山神社<大里村冑山八〇(冑山字賢木)>
冑山の地名は、地内西部にある同名の小山に由来するものである。この小山は、形が胃に似ていることから冑山と名付けられたといわれ武蔵国造兄多毛比命の墳墓であると伝えられている。一説には、天正年間(一五七三-九二)に織田家武将滝川一益と鉢形城の北条氏が戦った際の兵具を埋め、その上に塚を築いたのがこの冑山であるともいうが、これは俗説で、既に『風土記稿』にも「塚のさま天正の頃のものとは見えず(中略)上古の墳墓なること疑なし」との指摘がある。
社記によれば、冑山は慶長十三年(一六〇八)の春に村人の手で発掘され、剣・鏡・五軀玉・土偶・土馬などが出土したが、その後間もなく村に病がはやったので、塚をまた元のように埋め戻し、祟りを鎮めるためにその頂に八幡神を祀ったという。それが当社の創建である。
一方、冑山村には、文水年間(一二六四-七五)に長福寺の開基に当たり、その鬼門鎮護のために勧請された日吉神社が村の鎮守として祀られていたが、明治四十二年に至って冑山神社(明治初年に改称したもの)を日吉神社に合併し、新たに日吉神社を冑山神社と称するようになった。ただし、この合併は、書類上のものに過ぎず、その後、八幡社本殿の前の斜面が氏子の力によって開かれ、そこに日吉神社の拝殿が移築されて現在の冑山神社の姿が整った。社記によれば、大正六年三月九日のことである。(「埼玉の神社」より)


胄山神社所蔵の文化財

  • 甲山古墳(埼玉県指定史跡)
  • 冑山神社本殿(熊谷市指定有形文化財)

冑山神社本殿

甲山古墳にある冑山神社の本殿建築です。屋根は同類型の社と比べて大きく、精緻な破風を形作っています。また、各所に華麗な彫刻がほどこされています。この彫刻は、その技法などから「歓喜院聖天堂」の建立に関わった彫師による製作と考えられています。彫刻部の裏側の記載から、寶暦二年(1752)の創立と推定されます。神社では7月14、15日に天王様を開催。熊谷市指定有形文化財(建造物)。(甲山古墳を守る会・熊谷市教育委員会掲示より)

胄山神社の周辺図