田中神社。延喜式式内社田中神社に比定
田中神社の概要
田中神社は、熊谷市三ケ尻にある神社です。田中神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される「武蔵国幡羅郡田中神社」に比定される古社だといいます。江戸期には天神社と称し、菅原道真公を併せ祀っています。
社号 | 田中神社 |
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祭神 | 武甕槌命、少名彦名命、天穂日命 |
相殿 | 菅原道真公 |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市三ケ尻671 |
備考 | - |
田中神社の由緒
田中神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される「武蔵国幡羅郡田中神社」に比定される古社だといいます。江戸期には天神社と称し、菅原道真公を併せ祀っています。
新編武蔵風土記稿による田中神社の由緒
(三ヶ尻村)天神社
水田の中間にあるをもて田中天神といへり、【延喜式】神名帳に、武蔵國幡羅郡田中神社は別當社のことにて祭神は少彦名命・天穂日命を祭れりと、別當傳へり、外に正しき證據を知らず。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による田中神社の由緒
抑々武蔵國四十四座の一社とたたえ奉る延喜式内田中神社の御祭神は武甕槌命少名彦名命天穂日命を奉斎し土人の古き伝説には田中天神と呼び菅原道真公併祀の鎮守にて家内安全交通安全学問高揚の神として氏子の崇敬今に荘んなり。
茲に御影石の大鳥居を御奉献し大神の御安泰と氏子の守護と繁栄を御祈念申し奉る。
右側に埋存せる天然石は常陸国鹿島の要石(かなめいし)と同様の伝説を存す又武蔵国幡羅大里榛澤の三郡の櫃儀域を示す境界石として永遠に伝えん。(境内石碑より)
「埼玉の神社」による田中神社の由緒
田中神社(熊谷市三ヶ尻六七一(三ヶ尻字社裏))
古代の三ヶ尻は、荒川の川筋に当たっていたため、上流からの土砂の流入による肥沃な土地であった。このため、早い時期から稲作が行われていたと思われ、地名の三ヶ尻もこれに関係し、古くは甕尻と書いていた。これは、地内にある狭山と呼ぶ山が、春と秋に田の神を祀るための酒を醸す大甕を伏せた形に似ているところからきたものという。また、当地には三ヶ尻古墳群があり、ここから有力な地方豪族の存在をうかがわせる銀象嵌の施された太刀が出土している。
当社は式内社であると伝え、『風土記稿』は水田の中にあるところから田中天神と称し、『延喜式』神名帳に、武蔵国幡羅郡田中神社とあるのは当社のことである。祭神は少彦名命と天穂日命であり、別当は新義真言宗の延命寺である、と載せている。
当社の境内に要石と呼ぶ石があり、地震を鎮めるという。この石は神の宿る石、すなわち磐座であろう。古代には、今日のように社殿に神を不断に祀るのではなく、祭りの時のみ岩や木に神の降臨を仰ぐものであった。当社の古い姿は、この要石にあると考えられる。また、天神の呼称も天つ神の天神で、菅公信仰よりも古いものである。
当社は、現在は小さな社であるが、渡辺崋山の『訪𤭖録』にも「古代ハ大社ナルヨシ」とあるように、昔は大きな社で参道も八〇〇メートルほど離れた庚申塚付近まであったという。(「埼玉の神社」より)
田中神社の周辺図