湯殿大神社(奈良新田)。新田の鎮守として勧請
湯殿大神社(奈良新田)の概要
湯殿大神社(奈良新田)は、熊谷市奈良新田にある湯殿大神社です。湯殿大神社(奈良新田)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に中奈良新田として当地が開拓され、村の鎮守として出羽の湯殿山権現を勧請して創建したといいます。
社号 | 湯殿大神社 |
---|---|
祭神 | 大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂社 |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市奈良新田257 |
備考 | - |
湯殿大神社(奈良新田)の由緒
湯殿大神社(奈良新田)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代に中奈良新田として当地が開拓され、村の鎮守として出羽の湯殿山権現を勧請して創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による湯殿大神社(奈良新田)の由緒
(中奈良新田村)
湯殿権現社
西福寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による湯殿大神社(奈良新田)の由緒
湯殿大神社(熊谷市奈良新田二五七(奈良新田字東通))
奈良新田は、江戸時代に当時の上奈良村の地内に新田として開発された土地で、開発当社は仁左衛門新田と呼ばれていたが、後に中奈良村新田ないしは中奈良新田と呼ばれるようになり、幕末に至って現行の奈良新田に改称された。この辺りは、利根川と荒川に挟まれた農業地帯であり、水利を生かして米麦が耕作されている。
当社は、この奈良新田の鎮守として、出羽国(現山形県)の湯殿山から分霊したものと伝えられており、江戸時代には湯殿権現社と称していた。ただし、残念なことに、出羽国から分霊して当社が創建された年代については伝わっていない。また、湯殿権現社と呼ばれていた当時は、本殿に本地仏として、阿弥陀如来を中央に、その両脇に観世音菩薩と勢至菩薩を配した阿弥陀三尊像を祀っていたが、神仏分離により、当社に隣接する氏子の箕田家に移された。
この本地仏の移動と同時に、従来当社の祭祀をつかさどってきた西福寺の管理を離れ、明治二年四月に湯殿大神社と改称し、村社となった。このことは、当時、村社として認められるには仏教色を排除することが必要であったことを物語っている。また、当社は村社ではあったが、小規模で氏子の数も少なかったところから、明治の末に奈良神社に合祀するとの話があったが、氏子の厚い信仰を尊重して合祀は見送られ、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
湯殿大神社(奈良新田)の周辺図