大麻生赤城神社。二荒権現の分霊を勧請
大麻生赤城神社の概要
大麻生赤城神社は、熊谷市大麻生にある赤城神社です。大麻生赤城神社は、正光寺の僧風山が二荒権現の分霊を勧請して寛文13年(1673)に創建したといい、大麻生村下郷の鎮守社だったといいます。
社号 | 赤城神社 |
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祭神 | 大己貴命、豊城入彦命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市大麻生1098 |
備考 | - |
大麻生赤城神社の由緒
大麻生赤城神社は、正光寺の僧風山が二荒権現の分霊を勧請して寛文13年(1673)に創建したといい、大麻生村下郷の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による大麻生赤城神社の由緒
(大麻生村)赤城社
下郷の鎮守とせり、正光寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大麻生赤城神社の由緒
赤城神社(熊谷市大麻生一〇九八(大麻生字下郷))
当社の創建は、棟札によると、寛文十三年(一六七三)に正光寺の僧風山(同寺四世の清厳文益和尚と推定)により行われたという。これにちなむ口碑に、僧風山が巡錫の途中、下野国河内郡(現宇都宮市)の二荒権現に詣で、その分霊を受けて寺の守護神として一社を営んだのが当社の始まりであるとの伝えがあるが、赤城神社と二荒権現とのかかわりについては明らかでない。当社は正光寺に隣接して建てられており、村の鎮守として祀られるようになってからも正光寺が神仏分離まで当社の祭祀をつかさどっていた。
江戸時代の大麻生村は、上郷、中郷、下郷の三地区からなっており、それぞれに鎮守とする社が祀られていた。これらは、明治に入るといずれも村社となったため、大麻生の村内には村社が三社もできてしまった。そこで、政府の合祀政策に従って一村一社とすべく、各社の世話人が協議した結果、下郷の鎮守であり、大麻生全域に檀家を持つ正光寺と縁の深い当社に村内のすべての神社を統合することが決議された。しかし、結果的には上郷・中郷の住民の十分な理解を得ることができず、氏子区域内の藤木稲荷神社・天神社・五幣稲荷神社・大久保稲荷神社の四社を合祀したにとどまった。
祭神は大己貴命と豊城入彦命で、本殿内には、創建時の棟札と天明二年(一七八二)の神祇管領調製の霊璽などが納められている。(「埼玉の神社」より)
大麻生赤城神社の周辺図