津田八幡神社。鶴岡八幡宮の放生会料所だった地
津田八幡神社の概要
津田八幡神社は、熊谷市津田にある八幡神社です。津田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、応永21年(1414)の足利持氏寄進状により、鶴岡八幡宮の放生会料所が津田郷にあったことから、その頃に祀られたのではないかといいます。江戸期を通して村の鎮守として祀られ、明治初年村社に列格、明治45年諏訪神社が祭られていた当地へ遷座といいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | 建御名方命、伊弉諾命、素戔嗚尊、菅原道真公 |
境内社 | 三嶽神社、伊奈利神社 |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市津田897 |
備考 | - |
津田八幡神社の由緒
津田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、応永21年(1414)の足利持氏寄進状により、鶴岡八幡宮の放生会料所が津田郷にあったことから、その頃に祀られたのではないかといいます。江戸期を通して村の鎮守として祀られ、明治初年村社に列格、明治45年諏訪神社が祭られていた当地へ遷座といいます。
新編武蔵風土記稿による津田八幡神社の由緒
(津田村)
諏訪社
福王寺持
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八幡社
村の鎮守なり、同寺(福王寺)持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による津田八幡神社の由緒
八幡神社<大里村津田八九七(津田字前町)>
当社は、大里村の東部に位置する大字津田のほぼ中央に鎮座している。神社の北方は集落となっており、ほかの三方には水田が広がっている。
津田の地名は、既に南北朝時代に「津田郷」として見え、その開発の古さを物語る。津田郷には、応永二十一年(一四一四)八月二十日の足利持氏寄進状により、鶴岡八幡宮の放生会料所があったことが知られ、そこに祀られたのが当社ではないかと想像される。
『風土記稿』津田村の項には「諏訪社福王院持、八幡社村の鎮守なり、同寺持」とあり、当社が村の鎮守とされている。また、二社の別当であった福王院は、同地内の西明寺の門徒であった。
明治初年に福王院の管理下を離れた当社は村社となり、更に明治四十五年字前町の無格社諏訪神社に遷座の上、同社と字西町にあった無格社八坂神社を合祀した。遷座前の社地は、字八幡町の水田の中にあった金塚と呼ばれる盛り土で、今は跡形もない。
合祀に際し、無格社であった諏訪神社の社地に移された理由は、八幡神社の社地が集落から離れ、参詣などに不便を来していたことが挙げられよう。
造営は、本殿が諏訪神社本殿として明治三十三年に行われ、覆屋が、来る合祀に備え、同四十二年に「諏訪八幡神社社殿新設」の名目で建立された。社殿下の盛り土はこの時に行われたものである。(「埼玉の神社」より)
津田八幡神社所蔵の文化財
- 根精様
津田八幡神社の周辺図