龍昌寺。寺領20石6斗の御朱印状、忍領三十四所初番
龍昌寺の概要
真言宗智山派寺院の龍昌寺は、荒神山地蔵院と号します。龍昌寺は、海宝上人(慶長19年1614年寂)が中興開山、慶安2年(1649)には寺領20石6斗の御朱印状を拝領したといいます。忍領三十四所初番、幡羅郡八十八ヶ所霊場20番です。
山号 | 荒神山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 龍昌寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 熊谷市柿沼499 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍昌寺の縁起
龍昌寺は、海宝上人(慶長19年1614年寂)が中興開山、慶安2年(1649)には寺領20石6斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による龍昌寺の縁起
(柿沼村)龍昌寺
新義真言宗、京都智積院末、荒神山地蔵院と號す、寺領二十石六斗餘は、慶安二年八月廿四日御朱印を附せらる、中興開山海實慶長十九年六月十二日寂す、本尊地蔵は恵心の作。
鐘楼。安永七年三月鋳造の鐘をかく。
荒神社。辨天社。稲荷社。聖天社。金毘羅社。
観音堂、此堂焼失後、いまだ再建ならず。
十王堂。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による龍昌寺の縁起
当山は慶長年間海宝上人の開基にして荒神山地蔵院龍昌寺と称し新義真言宗智山派智積院直末の格院なり。江戸幕府より寺領二十石六斗の朱印を受領し堂塔伽藍荘厳の美を誇りしが明治九年不慮の火災により堂宇什器古文書等を焼失、一切烏有に帰したり。明治三十九年専従秀尊和尚晋山し第二十一世住職となり檀信徒の協力により大正二年本堂、仝十二年鐘楼建設の大業を達成せり。昭和二十三年少衤内第二十二世住職拝命以来庫裡再建を発願し檀信徒各位の浄財により茲に宿願の庫裡落慶の運びに至る。是偏へに仏天加護と檀信徒各位の協力の賜なり。依而茲にその鴻業を碑に録し後世に伝ふるものなり。(境内石碑より)
龍昌寺の周辺図