成就院。肥塚氏供養板石塔婆、古塚古墳石棺
成就院の概要
真言宗智山派寺院の成就院は、肥塚山阿弥陀寺と号します。成就院は、僧欽照(永正元年1504年寂)が開山したといいます。成就院には、熊谷市指定文化財の古塚古墳石棺や、肥塚氏供養板石塔婆があります。
山号 | 肥塚山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | 阿弥陀寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市肥塚2-6-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 肥塚伊奈利神社のもと別当 |
成就院の縁起
成就院は、僧欽照(永正元年1504年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による成就院の縁起
(肥塚村)成就院
新義真言宗、江戸愛宕真福寺末、肥塚山阿弥陀寺と号す。古は相州鎌倉胡桃谷大楽寺の末なりと云。本尊弥陀、腹籠の像は良辦の作なりと云傳ふ。開山欽照、永正元年6月朔日寂す。
天神社(新編武蔵風土記稿より)
もと末寺真蔵寺について
真蔵寺
成就院の門徒なり。若宮山観音院と号す。本尊十一面観音を安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
成就院所蔵の文化財
成就院には、熊谷市指定文化財として古塚古墳石棺が成就院境内に所蔵されています。また、境外墓地には、熊谷市指定文化財として、肥塚氏供養板石塔婆が掲示されていましたが、確認できておりません。
- 古塚古墳石棺(熊谷市指定文化財)
- 肥塚氏供養板石塔婆
肥塚氏供養板石塔婆
肥塚氏供養板石塔婆に関し、新編武蔵風土記稿には古碑二基として記載されています。
村の南に寄りてあり。一は長3尺8寸許にして、設我得佛、十方衆生、至心信楽、我生我国、乃至十念若不生者、不取正覚の数字を彫り、康元丁巳3月と載す。一は長4尺5寸程にして、梵字を二行に彫り、応安8年2月17日、道義禅門と記せり。或云、康元の碑は肥塚太郎九郎光長と云人の墓にて、応安の碑は同八郎盛直の碑ならんと。されど正しき據とすべきことなければ、定めがらし。肥塚は武蔵七党の枝流にして、古は爰に住し在名を唱へしものならん。
成就院の周辺図