肥塚伊奈利神社。成就院の旧境内鎮守
肥塚伊奈利神社の概要
肥塚伊奈利神社は、熊谷市肥塚にある伊奈利神社です。肥塚伊奈利神社の創建年代は不詳ながら成就院の境内鎮守社だったといい、神仏分離令に伴い、明治2年当地へ遷座、明治42年村内の12社を合祀しています。
社号 | 伊奈利神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | 石凝姥命、市杵島姫命、誉田別命、大己貴命、須佐之男命、建御名方命、菅原道真公、宇須売命、伊弉諾命 |
境外摂社 | 熊野神社・辛神社 |
祭日 | - |
住所 | 熊谷市肥塚2-7 |
備考 | - |
肥塚伊奈利神社の由緒
肥塚伊奈利神社の創建年代は不詳ながら成就院の境内鎮守社だったといい、神仏分離令に伴い、明治2年当地へ遷座、明治42年村内の12社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による肥塚伊奈利神社の由緒
(肥塚村)稲荷社
成就院持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による肥塚伊奈利神社の由緒
伊奈利神社<熊谷市肥塚一七六一(肥塚字本村)>
『風土記稿』に、当地のことを「開墾の年代詳ならざれど、村内に肥塚殿と称する古墳ありて、其碑に康元二年(一二五七)の銘あり、土人の伝に此地の領主肥塚太郎九郎光長と云し人なりと、康元は「吾妻鏡』のころなれば、古く開けしこと知らる」とある。更に、同書は「稲荷社・弁天社・熊野社・八幡社・雀宮・天神社・辛神社・姥神社・子神社・道祖神社・白山社以上十一社成就院持」と載せている。このうちの稲荷社が当社であり、成就院は真言宗の寺で明治十五年に忍東照宮の拝殿を移して本堂とし、当社の後方二〇〇メートルにある。
口碑に「昔の伊奈利神社は、寺鎮守であった。これが何時か村の鎮守になった」と伝えている。
社蔵の「肥塚村伊奈利神社書上」に「旧来成就院境内ニアリシヲ、明治二年中神仏分離ノ際当所へ移ス」とあり、また古老の話に「当地は旧幕府と深い関係にある忍領であったため、新政府への聞こえを恐れて、神仏分離など時の政策は励行された」という。
『明細帳』に「明治四十二年一月十九日、字辛姥神社・同辛神社、本村熊野神社・同八幡神社・同八坂神社・同白山神社、字天神久保天神社、字前田宇賀神社、字一ノ井杵築神社、字西浦諏訪神社、字雀宮鈿女神社、字八幡上八幡神社ヲ合祀ス」とある。この時の話として、「神主が、この社はあきらめて移り給えと祝詞を上げた」という。(「埼玉の神社」より)
肥塚伊奈利神社の周辺図