東竹院。久下次郎重光が開基、熊谷七福神の寿老人
東竹院の概要
曹洞宗寺院の東竹院は、梅籠山久松寺と号します。東竹院は、久下次郎重光(法名東竹院久遠願昌居士、建久7年1196年寂)が開基、月擔承水法師(安貞元年1227年寂)が開山となり創建、深谷城主上杉三郎憲賢が中興開基、的翁文中が中興開山となり中興したといいます。江戸期には、寛永19年(1642)には寺領30石の御朱印を拝領、忍領三十四所4番、熊谷七福神の寿老人です。
山号 | 梅籠山 |
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院号 | 東竹院 |
寺号 | 久松寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市久下1834 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 忍領三十四所4番 |
東竹院の縁起
東竹院は、久下次郎重光(法名東竹院久遠願昌居士、建久7年1196年寂)が開基、月擔承水法師(安貞元年1227年寂)が開山となり創建、深谷城主上杉三郎憲賢(永禄11年1568年寂)が中興開基、的翁文中(天正13年1585年寂)が中興開山となり中興したといいます。江戸期には、寛永19年(1642)には寺領30石の御朱印を拝領していました。
新編武蔵風土記稿による東竹院の縁起
東竹院
禅宗曹洞派、下総国結城孝顕寺末、梅籠山久松寺と号す。古は天台宗なりしと云。本尊釈迦。寛永19年30石の御朱印を附せらる。開基は久下次郎重光、建久7年7月3日卒す。東竹院久遠願昌居士と号す。又久下権守直光、元久元年甲子4月29日卒す。長和院天了慧運居士。直光は重光と父子の間なるべけれど、東鑑に其ことは見ゆず。直光は熊谷直実の姨母(おば)の夫なりと載す。尚村の名條見合すべし。開祖は月擔承水法師、安貞元年8月7日示寂。中興の開基は深谷の城主上杉三郎憲賢にて、永禄11年7月2日卒す。此時の僧を的翁文中と云、天正13年8月17日寂せり。
寺宝
袈裟一領、蜀江の錦にて雲手の模様あり、上杉家の寄附と云。
成田分限帳一冊。
山門。衆寮。
鐘楼。鐘は嘉禄に鋳し物にて、賀美郡阿部村真光寺の鐘なり。戦国の世に行軍の人奪去りしに、後村内うなぎ淵より掘出せしと。此鐘に鉄砲の玉入てありとて、其銘爰に載す。奉鋳武州賀美郡阿部村真光寺鐘、右志者為信心大檀那小野氏、沙弥阿弥陀佛、現□安穏後世□善処、為法界衆生平等利益也。嘉禄3年大才丁亥5月日。
白山社
久下墓。五輪なり。久下氏と云へど詳ならず。恐らくは次郎重光が墓なるべし。
上杉墓。又五輪なり。これも名を傳へざれど、三郎憲賢の墓にや。(新編武蔵風土記稿より)
東竹院の周辺図