龍泉寺。関東八十八ヶ所霊場、彩の国武州路十二支霊場
龍泉寺の概要
真言宗豊山派寺院の龍泉寺は、少間山観音院と号します。龍泉寺は、小此木紀伊守が開基、心海法印が開山となり永禄年間(1558~70)に創建したといいます。関東三十三観音霊場29番、関東八十八ヶ所霊場83番、忍領三十四所29番、幡羅郡八十八ヶ所霊場38番、彩の国武州路十二支霊場子の霊場です。
山号 | 少間山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 龍泉寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市三ケ尻3712 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍泉寺の縁起
龍泉寺は、小此木紀伊守が開基、心海法印が開山となり永禄年間(1558~70)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による龍泉寺の縁起
(三ヶ尻村)龍泉寺
新義真言宗、榛澤郡針ヶ谷村弘光寺末、少間山観音院と號す、開山心海寂年を失ふ、本尊不動を安ず。
観音堂。狭山の中腹にあり、本尊千手観音を置く。
阿彌陀堂。毘沙門堂。太子堂。稲荷社。
鐘楼、元禄九年十一月鋳造の鐘を掛り。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県掲示による龍泉寺の縁起
龍泉寺は、真言宗豊山派に属し、本山は奈良県桜井市初瀬の長谷寺(西国観音札所八番)である。
龍泉寺の本尊は不動明王で、観音堂には千手観世音菩薩を祀り、忍札所二十九番になっている。また、近年創設された、関東ぼけ封じ観音の二十九番でもある。当寺の開基は、小此木紀伊守、開山は心海法印で草創は約五百余年前である。幡羅郡新四国八十八ヶ所の三十八番の霊場であり、また近年創設された関東八十八ヵ所霊場の八十三番でもある。境内は、約五千平方メートル、本堂は昭和九年に改築、観音堂は延享四年(一七四七)、仁王門は天保三年(一八三二)、山門は天保四年、鐘楼は明治初年、水屋は明治十四年の建立である。
天保二年、幕末の志士渡辺華山は主君三宅藩の旧領地である当地三ヶ尻を調査のため訪れ、龍泉寺に逗留し三ヶ尻領を実地に調査し訪瓶録三巻を著した。また、仁王門の松図格天井絵、双雁図(共に県指定文化財)を寄進している。
観音様の大縁日は一月の第三日曜日、当日は善男善女の参拝で、終日境内を埋めて賑わう。なお、子歳生まれの人の守り本尊である。
また、当寺の裏にある山を狭山(通称観音山)といい、海抜八十二メートル、周囲約八百五十メートルある。(埼玉県掲示より)
龍泉寺所蔵の文化財
- 松図格天井絵(埼玉県指定文化財)
- 双雁図(埼玉県指定文化財)
龍泉寺の周辺図