熊谷寺。熊谷市仲町にある浄土宗寺院寺

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熊谷寺。熊谷直実が出家し居宅を蓮生庵とし創建

熊谷寺の概要

浄土宗寺院の熊谷寺は、蓮生山当行院と号します。熊谷直実(法名蓮生)が出家後、元久2年(1205)彼の旧居に蓮生庵として創建したと伝えられます。その後、天正年間に熊谷寺として中興、慶長9年には、徳川家康より30石の御朱印領を拝領、江戸幕府より数多くの下賜を受けた由緒寺院です。

熊谷寺
熊谷寺の概要
山号 蓮生山
院号 当行院
寺号 熊谷寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 熊谷市仲町43
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 参拝は不可



熊谷寺の縁起

熊谷寺は、熊谷直実(法名蓮生)が出家後、元久2年(1205)彼の旧居に蓮生庵として創建したと伝えられます。その後、天正年間に熊谷寺として中興、慶長9年には、徳川家康より30石の御朱印領を拝領、江戸幕府より数多くの下賜を受けた由緒寺院です。

新編武蔵風土記稿による熊谷寺の縁起

浄土宗、京都知恩院末、蓮生山当行院と号す。
慶長9年寺領30石の御朱印を賜はる。
相傳ふ当所昔熊谷次郎平直実が城地なり。直実発心の後廃却せしが、元久2年に帰来、彼城蹟に僅の草庵を結て、蓮生庵と号す。蓮生は則其法名なればなり、遥の後天正中に幡随意上人蓮生が昔を慕ひ、中興して浄刹とし、熊谷寺とす。
又云幡随意にはあらず、其弟子萬海中興すと。此萬海は此邊の代官職大河内金兵衛久綱が庶子なれば、御覚も格別にて寺領を賜はれり。
慶長6年東照宮忍城渡御の時、屡御立寄ありて、客殿の金具に葵御紋を用ることを許され、又門前に下馬札を立しめらる。是は朽損の時廃せしと云。
又一説に当寺の起立は幡随意にはあらず、余の浄徒にて、起立の願を起せし日、当所報恩寺に安ぜし蓮生入道の像を借来て、路傍に安じ、称名して路人の資材を募る偶東照宮放鷹に逢て、台聴に達し、其志尤御旨に叶けらば寺領を賜りしとも云。然ども当寺観智国師に継て、縁山に住せしは廓山なり。廓山当所に住せしことは其傳にも見へず、前説を得たりとすべし。
今庭中に小富士見亭と云所あり、昔東照宮富嶽を望給し古跡なり。当時住僧手製の煎茶を献せしより、今に至るまで年ごとに三十斤づつの茶を献ずと云。かかつ御由緒ある寺なるとを以て、元和2年願ひ上て御宮をも造立す。其後台徳院殿より金襴の袈裟及七軸三部の経を賜はり大猷院殿にも住職萬海を御帰依の余り、金襴袈裟を賜ひ、御遠祖大光院殿御追福の為に、百万遍を修行すべき由命ぜられ、御祠堂のため黄金をも附させ給ひて、彼君の御木牌を置れしといへり。
本尊阿弥陀を安ず。恵心僧都の作なり。(新編武蔵風土記稿より)


熊谷寺の周辺図