報恩寺。熊谷直実の子直家が創建、千代鶴姫玉鶴姫の守佛
報恩寺の概要
曹洞宗寺院の報恩寺は、大慈山と号します。報恩寺は、昔熊谷直実の子直家が、父の没後菩提の為に浄土宗寺院として創建、江戸時代に報恩寺と改号、のち萬室察和尚(享保2年・1717年寂)が曹洞宗へ改宗し中興開山したと伝えられます。当寺の本尊は熊谷直実の娘千代鶴姫玉鶴姫の開基・守佛だといいます。
山号 | 大慈山 |
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院号 | - |
寺号 | 報恩寺 |
本尊 | - |
住所 | 熊谷市円光2-8-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
報恩寺の縁起
報恩寺は、昔熊谷直実の子直家が、父の没後菩提の為に浄土宗寺院として創建、江戸時代に報恩寺と改号、のち萬室察和尚(享保2年・1717年寂)が曹洞宗へ改宗し中興開山したと伝えられます。当寺の本尊は熊谷直実の娘千代鶴姫玉鶴姫の開基・守佛だといいます。
新編武蔵風土記稿による報恩寺の縁起
(熊谷町)報恩寺
禅宗曹洞派。埼玉郡成田龍淵寺末、大慈山と号す。当寺は昔熊谷直実の子直家、父の没後菩提の為に起立せる浄土宗の草庵にて、直実が木像を置しが、遥の後東照宮此邊御遊狩之時、由緒を御尋の上新に熊谷寺を造立させられて当所は猶其ままにておかれしを、其後又一寺に取立て、報恩寺と号すといへり。此説熊谷寺の傳へと同じからず、姑兩説を記しおけり。中興開山を萬室察和尚と云。享保2年8月28日寂す。是曹洞宗に改し時の開山なるにや。本尊阿弥陀を安ず、佛師安阿弥が作と云、其余直実が女なりし千代鶴玉鶴の守佛なりと云。薬師をも安置せり。
山門。
鐘楼、元禄2年鋳造の鐘をかく。
薬師堂。
白山社。(新編武蔵風土記稿より)
報恩寺境内袖引稲荷神社について
袖引稲荷の由来
当山は御本尊であるお釈迦さまとともに、袖引稲荷を寺の伽藍神としておまつりしている。
このお稲荷さまへの信仰は、日本古来の神道の信仰にインドの古い神さまで後にお釈迦さまの守り神となられた托枳尼天さまのお話が結びついて平安時代から盛んになったものである。
当山の袖引稲荷は、鎌倉時代の初め、開基玉津留姫が近くの内池町の菩薩院という寺院にあったお稲荷さまが荒れ果てていたのに心を痛め当山にお移ししたものである。
この袖引稲荷のいわれは、玉津留姫が戦乱のため離れ離れになっていた。妹の千代鶴姫に巡り会いたいとお稲荷さまに願をかけたところ夢の中に白狐に乗られた霊神が現れ、「これより京に向いて行けば願いは叶うであろう。」とお告げがあり静岡県焼津市近くの川を渡し舟で渡っているとき、その舟に乗り合わせた美しい女性の袖と玉津留姫の袖とが生き物のように結び合ったので語りあうと妹の千代鶴姫であった。姉妹の喜びは一方ならずこのお稲荷さまの神通力に感激し、後に人呼んで袖引稲荷と呼ぶようになった。
当山の袖引稲荷は、縁結び、商売繁盛、五穀豊穣、家屋敷の守り神として霊験あらたかである。(境内掲示より)
報恩寺の周辺図