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集福寺。熊谷市下奈良にある曹洞宗寺院

集福寺の概要

曹洞宗寺院の集福寺は、萬頂山と号します。集福寺は、圓明國師(永仁6年1298年寂)が臨済宗寺院として創建、式部大輔助高十代成田下総守親泰(法名貞岡宗蓮菴主、大永4年1524年卒)が開基となり、永正年間(1504-1520)に桂室秀芳(天文18年1549年寂)が曹洞宗寺院に改めたといいます。慶安年間には寺領20石の御朱印状を拝領していたといいます。当時歴代住職のうち、桂岩(慶長3年1598年寂)は徳川家康の命により江戸に出府し金峯山高林寺を創建するなど、数多くの末寺を擁する本寺格の寺院でした。忍領三十四所13番です。

集福寺
集福寺の概要
山号 萬頂山
院号 -
寺号 集福寺
本尊 千手観音像
住所 熊谷市下奈良551
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



集福寺の縁起

集福寺は、圓明國師(永仁6年1298年寂)が臨済宗寺院として創建、式部大輔助高十代成田下総守親泰(法名貞岡宗蓮菴主、大永4年1524年卒)が開基となり、永正年間(1504-1520)に桂室秀芳(天文18年1549年寂)が曹洞宗寺院に改めたといいます。慶安年間には寺領20石の御朱印状を拝領していたといいます。当時歴代住職のうち、桂岩(慶長3年1598年寂)は徳川家康の命により江戸に出府し金峯山高林寺を創建するなど、数多くの末寺を擁する本寺格の寺院でした。

新編武蔵風土記稿による集福寺の縁起

(下奈良村)集福寺
禅宗曹洞派、上野國新田郡太田町金龍寺末、萬頂山と號す、二十石の寺領は慶安九年十一月三日御朱印を附せらる、相傳ふ往昔は臨済派にて、開山圓明國師は永仁六年十月十三日寂せり、其後永正年中桂室秀芳と云僧、曹洞派に改めしより今開山とす、此僧天文十八年六月十八日寂せり、開基は式部大輔助高十代成田下総守親泰、法名貞岡宗蓮菴主と號す、入道して當村に隠棲を營み、即當寺を造建し、大永四年六月八日卒す、居蹟は當寺境内より少しく西の方にありし由、今は其處詳ならず、同氏の系圖にも當村に隠居し、當寺を造しこと見ゆ、御打入の後東照宮忍城より此邊御放鷹の時、當寺へ成らせられ、住僧桂岩へ御目見仰付られ、其後慶長年中江戸へ召されし時、元神田蔵王権現の舊蹟に於て寺地を賜はり、一寺を草創して金峯山高林寺と號し、蔵王権現を鎮守とせり、後替地を給ひ本郷へ遷り、又駒込へ遷りて、今は當寺の末となれり、桂岩は慶長三年十月廿九日寂す、本尊三尊の釋迦を安ぜり、又天正年中太閤より出せし禁制の文書を蔵す。(文書面省略)
鐘楼。鐘銘中に元和年中、郡中道ヶ谷戸鈴木主税助重縄寄附の鐘なりしが、延寶六年九月廿一日其子孫再鋳せしことを載す、此主税助は成田氏の家人なりしと云事は、道ヶ谷戸に辨ぜん。
白山社。稲荷社。天神社。佛殿、釋迦を安ず。衆寮。禅堂。
下馬札、この下馬札は東照宮當寺へ成らせられ、桂岩御目見せしとき賜ふといへど、古成田氏造立の頃より建たるものにや。(新編武蔵風土記稿より)


集福寺所蔵の文化財

  • 吉田市右衛門墓(埼玉県指定文化財)

集福寺の周辺図




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