安楽寺。藤原不比等淡海が安置した丈六の三尊
安楽寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の安楽寺は、吉祥山丈六院と号します。安楽寺は、藤原不比等淡海が丈六の三尊を安置して養老年間(717-724)に草創、武蔵国師藤原式部大輔任助の二男別府左衛門行隆が六阿弥陀を追加、九品仏堂としたといいます。安楽寺は、その九品仏堂の別当として、繁室玄茂和尚(文和2年1353年寂)が開山となり創建したといいます。忍領三十四所22番です。
山号 | 吉祥山 |
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院号 | 丈六院 |
寺号 | 安楽寺 |
住所 | 熊谷市西別府2044 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安楽寺の縁起
安楽寺は、藤原不比等淡海が丈六の三尊を安置して養老年間(717-724)に草創、武蔵国師藤原式部大輔任助の二男別府左衛門行隆が六阿弥陀を追加、九品仏堂としたといいます。安楽寺は、その九品仏堂の別当として、繁室玄茂和尚(文和2年1353年寂)が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起
(西別府村)九品佛堂。
縁起の略に云、養老年中藤原不比等淡海の草創にて、丈六の釋迦・彌陀・薬師の三尊を安ぜしに、其後胤式部大輔任隆の孫、式部大輔任助當國司にて、其二男別府左衛門行隆も、共に當所の主たるをもて、嚢祀の舊志をつぎ、彌陀六を増加ありて、合て九品の本尊とせしを、尚子孫別府甲斐守頼重再興ありと、頼重は文和三年三月十一日卒し、法謚して寂照院香峯常賛大禅門と號す、其後康暦二年九月二日、左馬頭氏満七千餘騎にて鎌倉を打立、當郡別府丈六に陣を居、此所にて軍勢を催促し、氏満丈六に参詣念誦云々、是により小山に赴んとし給ふ處に、小山下野守義政當所に来り、身の誤を侘ければ、義政と戦はずして降参せしめしことは、尊像祈誓の感應なりと云。
別當安楽寺。
禅宗臨済派、上野國那波郡柴宿泉龍寺末、吉祥山丈六院と號す、開山繁室玄茂和尚、文和二年三月十五日寂せり、本尊三尊の彌陀を安ず。
天神社。山王社。白山社。
鐘楼、元禄八年鋳造の鐘なり。
別府頼重墓。本堂の西の方に高七尺、幅二尺の古碑建り、碑面上に梵字、其下に文和三年甲午五月十一日逝孝子敬記、其左右に甲斐守藤原頼重世壽四十一歳法號常賛矣と彫れり、家譜に據に、頼重は行孝の二男二郎行助の末にて、夫より五代甲斐権守重光の子なり、始次郎兵衛と號し、後甲斐守と云よし見ゆ、又此邊に苔むしたる五輪の塔二基あり定て同姓の墓なるべし。(新編武蔵風土記稿より)
安楽寺所蔵の文化財
- 別府氏墓(埼玉県史蹟)
安楽寺の周辺図