子之神社。旧称聖権現社
子之神社の概要
子之神社は、三郷市彦倉にある神社です。子之神社の創建年代は不詳ですが、往古より延命院裏にあり、聖権現社と称していたといいます。明治6年村社に列格、彦江小学校建設に伴い当地へ遷座、大杉神社・稲荷社を当社境内へ移転したといいます。
社号 | 子之神社 |
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祭神 | 稲荷雷神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 三郷市彦倉1-60 |
備考 | 旧村社 |
子之神社の由緒
子之神社の創建年代は不詳ですが、往古より延命院裏にあり、聖権現社と称していたといいます。明治6年村社に列格、彦江小学校建設に伴い当地へ遷座、大杉神社・稲荷社を当社境内へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による子之神社の由緒
(彦倉村)聖権現社
村の鎮守なり、本地佛十一面観音、銅像にて長一尺許、運慶作、延命院持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による子之神社の由緒
子之神社
当地は彦成八郷の一つで、口碑に「彦倉は昔げんそうという医者が住んでいたところから呼ばれるようになった」とあるが、この辺りは八地区に彦が付き、いずれも支配著名であるところから、当地も同様の理由によるものと思われる。
当社は『風土記満』に「聖権現社、村の鎮守なり、本地仏十一面観音、銅像にて長一尺許、運慶作、延命院持」とあり、現在もこの像を内陣に安置している。ただし『風土記稿』の「銅像」の記事は誤りであると思われ、現存のものは木像である。
『明細帳』に「往古ヨリ此地ニ勧請シ村内鎮守ニ有之候処元禄十丑年検地前ヨリ除税地トナリ社殿再建後及大破文久二戌年十一月中氏子尽力シテ再建シ明治六年四月村社二許可」と載せている。
昭和三十七年、彦江小学校建設に伴い、別当であった真言宗で虚空蔵堂として有名な延命院の裏手から現在地へ移転した。
同時に、古くは虚空蔵堂の境内にあったと伝える大杉神社・稲荷社を境内へ移転した。大杉神社は『明細帳』に「天明四年当村田中栄左衛門ト井戸源左衛門ガ村内悪疫退散ノ為勧請スル」とあり、口碑では「文化文政のころ虚空蔵堂前にあった村の墓地を移転したところ、疫病が流行し、茨城の阿波から勧請した」とある。『風土記稿』に「大杉明神社」と載り、古くから信仰の厚い神である。(「埼玉の神社」より)
子之神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」