延命院。虚空蔵菩薩の別当寺として創建、三郷七福神の寿老人
延命院の概要
真言宗豊山派寺院の延命院は、明星山如意寺と号します。延命院は、文明18年(1486)に古刀禰川(現在の中川)から出現した虚空蔵菩薩を村民が祀ったのに始まるといいます。この虚空蔵を管理する別当寺として俊秀和尚が延命院として元亀年間(1570-73)に開山したといいます。三郷七福神(彦成めぐり)の寿老人、西新井組中川通四箇領八十八箇所46番です。
山号 | 明星山 |
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院号 | 延命院 |
寺号 | 如意寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 三郷市彦倉1-83-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
延命院の縁起
延命院は、文明18年(1486)に古刀禰川(現在の中川)から出現した虚空蔵菩薩を村民が祀ったのに始まるといいます。この虚空蔵を管理する別当寺として俊秀和尚が延命院として元亀年間(1570-73)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による延命院の縁起
(彦倉村)虚空蔵堂
延享二年の建立なり、堂の結構頗るたくみを盡し境内も打開けて近郷に希なる堂地なり、月毎丑寅の日にいは参詣群衆して賑へり、本尊虚空蔵は伽羅木の立像、長二尺許、弘法大師の作と云、十三年に一度開扉す、縁起にこの像は文明十八年古刀禰川より出現し、村民不日に一宇の草堂を造て安置す。延享中再営を企しことを載す、堂内に掛たる葵御紋附戸帳一張は、祐天僧正本尊渇仰の餘寄附せりと云、又自筆の名號一幅を納む、その餘貞誉僧正筆名號一幅あり、什寳とす。
鐘楼。寛政元年の鋳造なり。
松尾明神社。
大杉明神社。
稲荷社。
太子堂。
寮、千手観音を安ず。
別當延命院。虚空蔵堂に続てあり、明星山如意寺と號す、新義真言宗彦成村圓明寺末、本尊不動。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県・三郷市掲示による延命院の縁起
延命院は、明星山如意寺延命院と号し、真言宗豊山派の寺で、元亀年間(一五七〇〜七三)に俊秀和尚が開山したと伝えられている。本尊は不動明王である。
境内にある虚空蔵堂は、縁起によると、文明十八年(一四八六)に古刀禰川(現在の中川)より虚空蔵菩薩が出現したので、村民が一堂を造ってこれを安置したのが始まりと伝えられ、その後の延享二年(一七四五)に堂を再建し、現在に至っている。虚空蔵菩薩は伽藍でできた立像で、像高二尺(約六〇センチメートル)あり、弘法大師の作であると伝えられている。また、仏前にある守護は、大和武尊の妃である妃弟橘姫が愛用したもので、一時織田信長に献上されたが、その後、当寺に奉献されたものと伝えられている。
虚空蔵堂が再建されて以来、丑寅の人々の守り本尊として礼拝され、毎年四月十三日には護摩会や植木市等が催され、参詣客で賑わっている。更に、二年毎の丑年の四月中旬には、虚空蔵菩薩の御開帳が行われる。(埼玉県・三郷市掲示より)
境内掲示による延命院の縁起
明星山延命院は当地方随一の名刹であって創立は遠く足利時代と推定される。当虚空蔵菩薩は後土御門天皇の御宇文明十八年(西紀一四八六)九月十二日に古利根川の洪水の節奥利根川の洪水の節奥利根の上流から流着して、当地に来臨せられて当山の地に滞留された。
徳川時代に入って八代将軍吉宗公の代、即ち中御門天皇の御治世の延享年間(西紀一七四四ー一七四七)には現在の御堂が建立されたのである。
将軍家光時代寛永十四年の丑年磐城の国新倉に出生された後の増上寺貫主祐天上人は、当寺御堂建立に先立ち八代将軍吉宗の時代享保三年(西紀一七一八)遷化されたのであるが、其の生年が丑歳であった因縁から五十余才にして牛島に隠棲されたころ深く当山本尊に帰依されて、当寺建立の発企に参画され又厦々法具を寄進されて今日に至っても二〜三の献品が相承されている。
祐天上人はこの功徳によって将軍綱吉の母桂昌院の信任を受け家継家宣の信任を受けて増上寺貫主となり浄土宗近代の名僧とうたわれた。
一説には古利根の上流から流着降臨されました当山本尊は弘法大師が東国ご巡行の折りに一刀三礼を盡して彫刻されたものとして伝えられる。
又御宝前の御守鏡は大和武尊の御妃弟橘姫の御遺愛品と云われ、天正三年(西紀一五七五年)に羽柴筑前守秀吉はこの御鏡を東国で入手してこれを主君織田信長公に献上されたが、京都本能寺の変後何者かの手によって当山に安置されている。
延享年間に本堂が美々しく改築されて以来丑寅の人々の守り本尊として威名近郷近在に弘まり兼ねて家内安全病気平癒の大衆の願望を成満せしめ給い又祈願の婦人に対しては安産子育て等に著るしい功徳を授けられた。
八代将軍吉宗公時代の建立になる御堂は今に至っても巍然として明星山頭に聳え立ちその優雅な容姿は大衆を感動せしめ御本尊の御威光を偲ばせている。
其の風格ある威容は往時の大衆に厚く信奉された歴史を示している。(境内掲示より)
延命院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿