三輪野江三輪神社。吉川市三輪野江の神社

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三輪野江三輪神社。流山出身の平本主膳定久が三輪神社を勧請

三輪野江三輪神社の概要

三輪野江三輪神社は、吉川市三輪野江にある神社です。三輪野江三輪神社は、大谷口城落城(天正18年1590年)後に浪人となった平本主膳定久が慶長17年(1612)当地に入植、流山市三輪野山の三輪神社(茂侶神社)を勧請して創建したといいます。明治43年浅間社を合祀しています。

三輪野江三輪神社
三輪野江三輪神社の概要
社号 三輪神社
祭神 大物主命
相殿 -
境内社 天神社・疱瘡神社・稲荷神社、八坂神社
祭日 お日待10月15日
住所 吉川市三輪野江1371-1
備考 -



三輪野江三輪神社の由緒

三輪野江三輪神社は、大谷口城落城(天正18年1590年)後に浪人となった平本主膳定久が慶長17年(1612)当地に入植、流山市三輪野山の三輪神社(茂侶神社)を勧請して創建したといいます。明治43年浅間社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による三輪野江三輪神社の由緒

(三輪野江村)
三輪明神社
平本主膳、當所開發の頃隣村三輪野山村の三輪明神を移し祀れりと云、村の鎮守にて大光院持、
末社水神、天神、稲荷
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淺間社
是も大光院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三輪野江三輪神社の由緒

三輪神社<吉川町三輪野江一三七一-一(三輪野江字宅地付)>
江戸川右岸の水田地帯である当地は、『風土記稿』によると、平木主膳が開発したとされ、同家系図に「慶長十七年(一六二一)下総国小金大谷口の浪士平木主膳定久一八歳の折に入植とある。
当社の創建について『風土記稿』は「主膳当所開発の頃、隣村三輪野山村の三輪明神を移し祀れりと云」とあり、更に「村の鎮守にして大光院持 末社水神 天神 稲荷」と載せている。
隣村の三輪明神とは現在千葉県流山市三輪野山にある三輪神社で、古代には式内社茂侶神社と呼ばれた古社であり、祭神は大物主命である。
当社を管理していた大光院は隣接して阿弥陀如来を安置していたが、幕末には無住となり明治初期に廃されている。
本殿には、享保三年(一七一八)の宗源宣旨と宗源祝詞があり、正一位の神位を受けたことがわかる。このほか、金幣を納め、また、古雅な狛犬一対がある。更に富土権現立像が安置されており、これは『明細帳』に「明治四十三年三月十六日無格社浅間社合併」とある字浅間から移したものである。同年、江戸川の端より七面社を合祀したが、後日戻されている。(「埼玉の神社」より)


三輪野江三輪神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」