鎌倉稲荷神社。鎌倉村の鎮守社として元禄元年に創建
鎌倉稲荷神社の概要
鎌倉稲荷神社は、三郷市鷹野にある神社です。鎌倉稲荷神社は、戸ケ崎の新田(長沼村)から分村して成立した鎌倉村の鎮守社として、元禄元年(1688)に創建したといいます。明治43年戸ケ崎香取神社に合祀されたものの、昭和46年香取神社より還宮したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 三郷市鷹野5-73 |
備考 | - |
鎌倉稲荷神社の由緒
鎌倉稲荷神社は、戸ケ崎の新田(長沼村)から分村して成立した鎌倉村の鎮守社として、元禄元年(1688)に創建したといいます。明治43年戸ケ崎香取神社に合祀されたものの、昭和46年香取神社より還宮したといいます。
新編武蔵風土記稿による鎌倉稲荷神社の由緒
(鎌倉村)稲荷社二
共に村の鎮守なり、明王院持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による鎌倉稲荷神社の由緒
鎌倉稲荷神社
当社の鎮座する鎌倉は、戸ケ崎村の新田として開発され、延宝元年(一六七三)に長沼村として分村した。その後、元禄元年(一六八八)に更に分村して鎌倉村となった。当社は、この年、村の鎮守として京都の伏見稲荷から分霊を受け、村の西方に社地を設けてこれを祀ったことに始まる伝えられる。『風土記稿』鎌倉村の項を見ると、「稲荷社二、共に村の鎮守なり、明王院持」とあり、畑を隔てて当社の北西にある天台宗寺院の明王院の管理下にあったことがうかがわれる。
明治に入り、明王院の管理を離れた後は、村社として住民の崇敬を受けていたが、政府の合祀政策のた也、明治四十三年四月に、戸ケ崎香取神社に合祀され、社殿も境内から撤去されてしまった。しかし、信仰的にも、地理的にも不都合を感じた氏子の総意により、大正三年十月に、神社の南西にあった寮(『風土記稿』には「寮、大日を安ず、明王院持」と載る)の近くに遥拝所を建立し、更に昭和十二年四月には、この遥拝所を元地に移した。
その後、南部土地改良区による基盤整備を機に、神社の再興が叫ばれるようになり、ついに昭和四十六年十月に社殿が新築され、氏子の積年の悲願であった香取神社からの遷宮が実現した。また、同五十三年九月には、宗教法人となったが、その際、地番整理によって失われる鎌倉の地名を冠して、社名を「鎌倉稲荷神社」とした。(「埼玉の神社」より)
鎌倉稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」