寄巻水神社。戸ケ崎村名主加藤家の氏神が流れ着き祭祀、寄巻村の鎮守
寄巻水神社の概要
寄巻水神社は、三郷市鷹野にある神社です。寄巻水神社の創建年代は不詳ですが、戸ケ崎村の加藤家の氏神であった社が、大水で流されてきて、そのままこの地に祀ったのを創始とするといい、寄巻村の鎮守社だったといいます。
社号 | 水神社 |
---|---|
祭神 | 水波能女命 |
相殿 | - |
境内社 | 烏据沙麻明王・井戸水神宮・稲荷神社合殿 |
祭日 | - |
住所 | 三郷市鷹野5-513-1 |
備考 | - |
寄巻水神社の由緒
寄巻水神社の創建年代は不詳ですが、戸ケ崎村の加藤家の氏神であった社が、大水で流されてきて、そのままこの地に祀ったのを創始とするといい、寄巻村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による寄巻水神社の由緒
(寄巻村)神社
村の鎮守なり、金蔵寺持。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による寄巻水神社の由緒
寄巻水神社の由来
鎮座地の寄巻は、もとは戸ケ崎村のうちで、延宝元年(一六七三)に分村し、元禄一〇年(一六九七)の検地では寄巻前谷村となったが、後に再び分村した。
その地名は、戸ケ崎村から分村前の慶長一一年(一六〇六)には、徳川家康が鷹狩りの際に当地を通っている。現在でもこれにちなんで付けられた御鷹野道の小字が残る。
歴史的にも、ゆかりのあることから住居表示の改正により、鷹野という地名とした。尚、当社の創建の年代については明らかではないが、現在の水神社は、明治二六年(一八九三)一〇月一〇日棟梁の原口賢一氏施行の事実が残されている。延享二年(一七四五)に宗源宣示により、正一位の神位を受け、京都に参上して拝領の光栄に浴したことは寄巻村として無上の誉れであったと語り継がれている。神位の授与は、当時としては稀なこととも言われ、神祇官領より極位を受けるには、多額の費用を要したといわれ、この頃が村勢の安定する一つの境目であったものと思われる。
寄巻の先人・先輩諸公が、永々、辛苦艱難に耐え厳しい中から貴重な歴史と文化遺産を造りあげられたことに深く敬意と感謝の意を捧げる次第です。
本県の風土記稿には、寄巻水神社は村の鎮守なり、金蔵院持ちとある。
金蔵院と関わりを示す史料には、水神社の内陣にある、宣命位水神宮護摩供礼別当金蔵院と刻まれた版木が現存しております。
また、内陣には往時の本地佛の高さ三五センチメートルの水天像が安置されている。
当社の祭神は、水波能女命である。古くから水の神として信仰を集めており、その神徳により、当地は疫病・災害・大水による被害が他村に比べて少なかったという。また、本地佛の水天像に見られるように、水神様のお使いは亀であるといわれており、このことから、氏子の間では亀を飼うことを控え、また、川で亀を捕まえた時はお神酒を含ませて放してやる習わしとなっている。
年間の祭事は、一月二三日の御備社、一〇月二二日・二三日の祭禮、毎月二三日の月次祭である。特に月次祭は、神社の縁日であると伝えられることから、神社の創建に深くかかわる祭りであるといわれている。当社の宮司である鈴木重保氏が毎月来社し祭祀を執行。月次祭に限って奉祀する月番は家並み順に一〇名いる。
なお、当社にかかわる重要な行事に百万遍がある。神佛習合時代から続くもので当時の様子は、拝殿に掛かる絵馬に詳しく描かれている。
現在は子供の行事であるとともに体験学習の面からみても教育的は効果もあがるものと思われる。毎年七月八日と定めるものの、変更もあり得る。
八月二日は土用洗い土用干し神輿みがき等、一一月は七五三お子様の成長祈願祭(宮司祭祀)、一二月三一日大晦日・初詣・祈祷等。
なお敬神の念厚い囃子会より諸行事に祭し囃子が奉じられている。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による寄巻水神社の由緒
水神社
鎮座地の寄巻は、もとは戸ケ崎村のうちで、延宝元年(一六七三)に分村し、元禄十年(一六九七)の検地では、寄巻前谷村と見え、後に再び分村した。その地名は、大場川に沿って半円形のマキ(集落)をなしていたことに由来するという。また、戸ケ崎村から分村前の慶長十一年(一六〇六)には、徳川家康が鷹狩りの際に当地を通ったといい、現在でもこれにちなんで付けられた御鷹野道の小字が残る。
当社の創建年代は明らかでないが、口碑によると、戸ケ崎村の加藤家の氏神であった社が、大水で流されてきて、そのままこの地に祀ったのが始まりであるという。ちなみに加藤家は、家康の鷹狩りの際には御膳所となり、また、天正・慶長のころかち名主を務めた家柄で、当代で一八代目である。
延享二年(一七四五)には、宗源宣旨により正一位の神位を受けている。当時、神祇管領より極位を受けるには多額の費用を要したといわれ、このころが村勢の安定する一つの境目であったものと思われる。
『風土記稿』には「水神社、村の鎮守なり、金蔵院持」とある。これに見える金蔵院とのかかわりを示す史料としては、「宣命位水神宮護摩供之札別当金蔵寺」と刻まれた版木が現存している。
内陣には、往時の本地仏の水天像(全高三五センチメートル)が安置されている。(「埼玉の神社」より)
寄巻水神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」