加藤香取神社。吉川市加藤の神社

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加藤香取神社。加藤五郎左衛門が慶長年間に開拓

加藤香取神社の概要

加藤香取神社は、吉川市加藤にある神社です。加藤香取神社の創建年代は不詳ながら、岩槻太田氏に仕えていた加藤五郎左衛門が慶長年間(1596-1615)に当地を開拓、開拓に際して、(下総国領だったことから)下総国一宮の香取神宮を勧請して創建したといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、地内の天神社・水神宮を合祀しています。

加藤香取神社
加藤香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 天満宮、稲荷・雷電
祭日 正月大祭1月3日、大祭10月15日
住所 吉川市加藤720
備考 -



加藤香取神社の由緒

加藤香取神社の創建年代は不詳ながら、岩槻太田氏に仕えていた加藤五郎左衛門が慶長年間(1596-1615)に当地を開拓、開拓に際して、(下総国領だったことから)下総国一宮の香取神宮を勧請して創建したといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、地内の天神社・水神宮を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による加藤香取神社の由緒

(加藤村)
慶長年中の開墾なり、今の名主五郎左衛門祖先は、加藤五郎左衛門と稱し、岩槻太田氏に仕へし者なりしか、後浪人して此地開發の事を司どりし故、彼が氏をもて村名とすべきよし、伊奈半十郎指揮すと云、
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香取社
村の鎮守なり、普賢院持、下ニ社同じ、
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天神社
社地に庵を建て社守住せり、
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水神社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による加藤香取神社の由緒

香取神社<吉川町加藤七ニ〇(加藤字後耕地)>
氏子の加藤家の先祖である加藤五郎左衛門は、戦国期、岩槻の大田氏に仕えていたが、慶長年間(一五九六-一六一五)に当地に来て開拓を行った。これが、鎮座地である加藤の村の起こりで、当時代官を務めていた伊奈半十郎が開発者の氏名をもって村名にせよと命じたことに由来する。当社は、この開発の後、村の鎮守として祀られたものであるが、創建年代は明らかではない。『風土記稿』に「香取社 村の鎮守なり普賢院持」とあるように、当社近くにある真言宗普賢院が別当であった。
杉が生い茂っており、周囲が水田であるため遠方からでもこの杜を望むことができる。本殿は、境内の明治二十六年の「土地寄進碑」によれば明暦三年(一六五七)に造営され、更に明治十一年に修復がなされている。この内陣には、香取大明神像(像高四〇センチメートル)と合祀社の天満天神像(同二五・五センチメートル)が安置されている。
『風土記稿』によれば村内の神社は、当社のほかに天神社と水神社
の二社があり、そのうち天神社は、「社地に庵を立て、社守住せり」と載る。この天神社は、字後耕地七〇一番地に鎮座していたが、政府の合祀政策に従って明治四十二年一月十四日、村社であった当社に合祀した。なお、天神社の旧鎮座地は現在水田となっている。(「埼玉の神社」より)


加藤香取神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」