迎攝院。三郷市最古の建造物観音堂、三郷七福神の弁財天
迎攝院の概要
真言宗豊山派寺院の迎攝院は、彦峯山観音寺と号します。迎攝院は、祐慶法印が浄土宗寺院として慶長年間(1596-1615)に開基、祐貞が真言宗寺院に改めて中興したといいます。当寺の観音堂は、室町時代の創建と推定され、三郷市最古の建造物だといいます。三郷七福神(彦成めぐり)の弁財天、武蔵国三十三ヶ所霊場13番です。
山号 | 彦峯山 |
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院号 | 迎攝院 |
寺号 | 観音寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 三郷市番匠免1-127-1 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
迎攝院の縁起
迎攝院は、祐慶法印が浄土宗寺院として慶長年間(1596-1615)に開基、祐貞が真言宗寺院に改めて中興したといいます。当寺の観音堂は、室町時代の創建と推定され、三郷市最古の建造物だといいます。
新編武蔵風土記稿による迎攝院の縁起
(番匠免村)迎攝院
新義真言宗、彦成村圓明院末、彦峯山観音寺と號す、本尊不動、法流の祖祐貞享保十五年寂す。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉県・三郷市掲示による迎攝院の縁起
迎攝院は、真言宗豊山派に属し、山号を彦峯山観音寺といい、本尊は不動明王である。慶長年間(一五九六〜一六一六)に祐貞によって中興されたといい、このとき現在の真言宗豊山派に改宗したという。
また、この寺の観音堂は室町時代の創設と推定され、三郷市最古の建造物といわれる。「新編武蔵風土記稿」によると、元和八年(一六二二)に再建されたと記されているので、おそらくこの時大修理を行ったものと考えられる。観音堂は高さ約十メートル、間口六・五メートル、奥行七・五メートルで、用材はマツ、ケヤキ、ヒノキ、スギ等で、すべてこの土地に育った樹木であるという。堂内の肘木(上から荷重を支える用をなす横木)は、法隆寺金堂と同じ様式であるという。また、この堂に安置してある准胝佛眼部母観世音菩薩像は、行基の作と伝えられる。
なお、観音堂は昭和五十年に三郷市指定文化財となっている。(埼玉県・三郷市掲示より)
迎攝院所蔵の文化財
- 観音堂(市指定有形文化財)
観音堂
迎攝院は彦峯山観音寺迎攝院と号する真言宗豊山派の寺で慶長年間(一五九六〜一六一五)の僧祐慶法印を開基第一世としております。
この観音堂は三郷市最古の建造物で室町時代(一三九三〜一五七二)に建立されたものといわれています。規模は高さ約十メートル・間口六・五メートル奥行き七・五メートルあります。建築材のケヤキ・松・ひのき、さいかち等はすべてこの地に育ったものを使用しているといわれています。
堂内の肘木(斗と組み合わせて組物を形成し、上からの荷重を支える横木)は奈良法隆寺金堂と同じ様式であるといわれています。
また文化七年(一八一〇)から天保六年(一八三〇)の二十年間を費やして江戸幕府が編さんした武蔵國の地誌「新編武蔵風土記稿」によると観音堂は元和八年(一六二二)に再建されたと伝えられる記述があるが、おそらく大修理をしたものとおもわれます。(三郷市教育委員会掲示より)
迎攝院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿