福田淡洲神社。比企郡滑川町福田の神社
福田淡洲神社の概要
福田淡洲神社は、比企郡滑川町福田にある神社です。福田淡洲神社の創建年代等は不詳ながら、応永2年(1395)に当社例祭で獅子舞が奉納されていたことや、福田浅間神社から宝徳2年(1450)奉納の鰐口(阿牙洲大明神の刻銘)が見つかっていることなどから、中世には祀られていたとされます。江戸時代の寛永2年(1625)に村の鎮守とされ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
社号 | 淡洲神社 |
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祭神 | 息長足姫命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭4月15日、秋祭10月17日 |
住所 | 比企郡滑川町福田3341-3 |
備考 | - |
福田淡洲神社の由緒
福田淡洲神社の創建年代等は不詳ながら、応永2年(1395)に当社例祭で獅子舞が奉納されていたことや、福田浅間神社から宝徳2年(1450)奉納の鰐口(阿牙洲大明神の刻銘)が見つかっていることなどから、中世には祀られていたとされます。江戸時代の寛永2年(1625)に村の鎮守とされ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。
境内掲示による福田淡洲神社の由緒
当社の創立年代は不詳であるが、氏子旧家の古書によれば、応永二己亥(西暦一三九五)年に当社例祭に獅子舞を奉納したとの記載あり、応永以前に祀られたことが明らかである。当地は古くから開け、水田耕作がおこなわれ、地名も福田と名づけたと云う。
里人は神功皇后が熊襲平定に功績を挙げたことを尊び祭神として祀ったと伝承される。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による福田淡洲神社の由緒
(福田村)
淡洲社
村の鎮守なり、光榮寺持、下同(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による福田淡洲神社の由緒
淡洲神社<滑川町福田三三四一-三(福田字中在家)
当社の創建は不明であるが、地内の浅間神社から出土した宝徳二年(一四五〇)奉納の鰐口(宮司家保管)には「阿牙洲大明神」の銘が刻まれており、中世にはすでに信仰を集めていたことがわかる。社伝には、寛永二年(一六二五)三月に村の鎮守となったと伝え、『風土記稿』に「淡洲社 村の鎮守なり、光栄寺持」と記されている。
別当の光栄寺は、天台宗寺院で埼玉郡上中條村常光院の末寺であったが、神仏分離により明治五年二月に廃寺となったため草創年代など詳細が伝わっていない。
淡洲神社には諸説ある。安房国一ノ宮の后神を杷った式内社「后神天比理乃咩神社(大社で一元来は洲神と称した)」に由来するというものと、近世に流行した淡島信仰によるとする説である。当社の場合はその双方が考えられる。洲が島と同義であることから、後に淡島信仰が入りやすかったのであろう。この信仰は、女性の病気平癒・安産・良縁などの幸福祈願で、和歌山県加太の加太神社もしくは同県の方に鎮座する淡島神社から修験の活動により全国にもたらされた。(「埼玉の神社」より)
福田淡洲神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)