伊古乃速御玉姫神社。比企郡滑川町伊古の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

伊古乃速御玉姫神社。延喜式式内社、旧鎮座地二ノ宮山、淡島明神

伊古乃速御玉姫神社の概要

伊古乃速御玉姫神社は、比企郡滑川町伊古にある神社です。伊古乃速御玉姫神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に「伊古乃速御玉比売神社」と記載される古社です。七世紀初頭前後に、摂津国難波から横渟屯倉に入植した壬生吉志との関わりが推測され、伝承では一の鳥居が東松山市の青鳥(青鳥居)があったとも伝え、文明元年(1469)までは二ノ宮山に祀られていました。当社の祭神速御玉比売命が女神であった故か理由は定かではないものの、淡洲明神を併せ祀っていたようで、淡島明神(淡洲明神)とも称され、当社近郊にアワス(淡洲・阿和須)神社が7社祀られています。

伊古乃速御玉姫神社
伊古乃速御玉姫神社の概要
社号 伊古乃速御玉姫神社
祭神 大朝和気命、気長足姫命、武内宿彌命、(速御玉比売神)
相殿 -
境内社 金刀比羅神社、天満天神宮、八幡神社
祭日 例大祭10月15日、榛名祭4月15日、祈年祭3月15日
住所 比企郡滑川町伊古1242
備考 -



伊古乃速御玉姫神社の由緒

伊古乃速御玉姫神社の創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に「伊古乃速御玉比売神社」と記載される古社です。七世紀初頭前後に、摂津国難波から横渟屯倉に入植した壬生吉志との関わりが推測され、伝承では一の鳥居が東松山市の青鳥(青鳥居)があったとも伝え、文明元年(1469)までは二ノ宮山に祀られていました。当社の祭神速御玉比売命が女神であった故か理由は定かではないものの、淡洲明神を併せ祀っていたようで、淡島明神(淡洲明神)とも称され、当社近郊にアワス(淡洲・阿和須)神社が7社祀られています。

境内掲示による伊古乃速御玉姫神社の由緒

伊古乃速玉比売神社
昔は二ノ宮山上にあったが文明元(一四六九)年当地に遷座したと伝える。
第六十代醍醐天皇は藤原忠平に命じて延喜式を編さん、武蔵国で四四座を数えた。その中の一社で県内でも古社の一つで、比企総社となっている。
境内全域に自生する樹木は、南半部にアラガシを主とする暖帯常緑樹、北半部はアカシデ、ソロを主とする温帯落葉樹で両帯樹が相生していて学術上きわめて重要なため、県指定天然記念物である。
段を登りきったところそびえ立る御神木「ハラミ松」は箭弓安産の祭神と相まって近年でも広く信仰がなされている。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による伊古乃速御玉姫神社の由緒

(伊古村)
伊古乃速玉比賣神社
一に淡洲明神と云、今は専ら伊古乃速玉比賣神社と唱へり、此社地元は村の坤の方小名二ノ宮にありしを、天正四年東北の方今の地に移し祀れり、祭神詳ならず、左右に稲荷・愛宕を相殿とす、當社は郡中の總社にして、【延喜式神名帳】に、比企郡伊古乃速玉比賣神社とあるは、即ち此社のことなり、往古は殊に大社にて一の鳥居は近村石橋村の小名、内青鳥と云所にありしと云、按るに此内青鳥と云所は、【小田原役帳】に青鳥居とあり、されば古へ鳥居のありしより、地名にもおひしなど云はさもあるべけれど、當社の鳥居なりしことは疑ふべし、ことに其間二里餘を隔てたり、又此社式内の神社と云こと、正き證には得ざれど、村名をも伊古といひ、且此郡中總社とも祟ることなれば、社傳に云る如く式社なるもしるべからず、とにかく舊記等もなければ詳ならず、例祭九月九日なり、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による伊古乃速御玉姫神社の由緒

伊古乃速御玉姫神社<滑川町伊古一二四二>
当地は『和名抄』に載る比企郡渭後郷に比定される。読みは、水辺を表す「沼乃之利(ぬのしり)」とされる。この名残として、式内社である当社は、社名に伊古(渭後)を冠している。渭後は滑川に沿う細長い谷間の土地で、山あいに数多くの溜池が設けられ農業用水に利用されている。現在の溜池を古代にまで遡ることはできないが、古代においても溜池から水を引く方式は認められてよく、このことから渭後の地名も付けられたのであろう。
なお、この渭後郷の地名については、渡来系氏族壬生吉志と関連があったとする仮説が『東松山市と周辺の古代』(原島礼二)『古代東国史の研究』(金井塚良一)に載る。七世紀初頭前後に、比企及び男衾方面に横渟屯倉の管掌者として摂津国難波から入植した壬生吉志は、本拠地である難波の地名を比企の渭後、都家、高生、更に男会の榎津にもたらしたとする。葬制においても、これらの地は、従前の横穴式石室の腹部に膨みをもたせて胴張型に変化し、渡来系氏族の墓地として想定し得る。渭後郷を難波にある地名と関連づける理由は、渭後が「いかしり」とも読めるので、摂津国西成郡に鎮座する式内社座摩神社(いかすま)とかかわりがあるという。また、座摩の御巫が祀る神は、『延喜式』神名帳の宮中神に見える生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五座を示す。いずれも、井水や敷地を守護する神である。
鎮座地は、一四一八坪余りあり、神さびた印象を受ける。樹相は境内を二分し、南部が「アラカシ」を主とする暖帯常緑樹林、北部が「ソロ」を主とする温帯落葉樹林となり、同一境内に両帯樹林が相生していることから県指定天然記念物となっている。鎮座地西方約七〇〇メートルの地に標高一三一八メートルの二ノ宮山がある。氏子はこれを、「奥社」あるいは「元院」と呼ぶ。『武蔵志』には、「伊古速御玉姫神社図」として、当社及び二ノ宮山、別当円光寺が一体となって描かれている。なお、『風土記稿』には、天正四年(一五七六)に二ノ宮山から現在地に遷座したと載る。古代において当社は、児玉郡の式内社金鑚神社の如く、二ノ宮山を神体山として、現在地、つまり里宮から蓬拝したのであろうか。
当社は『延喜式』神名帳の「比企郡一座 小 伊古乃速御玉比売神社」に比定される。
由緒は『明細帳』に、人皇二十四代、仁賢天皇ノ御宇、蘇我石川宿祢ノ末裔、此里ヲ開キ君祖三幹平治ノ広徳ヲ仰キ字二ノ宮ノ山上ニ弓箭ノ祖、安産ノ祖ト崇敬シ三柱ノ神霊ヲ祭租シ、延喜式内ニシテ比企郡ノ惣社タルコト皆世人ノ知ル処ナリ」とある。
祭神は、元来、渭後の地に坐す「速御玉比売神」である。これについては、『古代祭祀と文学』の「武蔵国式内社考」で、西角井正慶氏は、速御玉は渭後に坐す姫神の霊威を讃えたものであろうと述べている。『明細帳』には、当社祭神を、大朝和気命、気長足姫命、武内宿彌命の三柱を載せる。
また、別に当社の神を「淡洲明神」といい、これは『風土記稿』にも記録がある。『神社覈録』に当社の速御玉比売命は、安房国一ノ宮の天太玉命の后押である天比理乃咩神の異名であると記される。『比企郡神社誌』の一説には、淡洲明神の洲は「しま」と読むことから紀伊国海草郡加太之浦に鎮座する淡島明神、つまり加太神社の神を当社に分霊したと思われる、とする。縁起によると、淡島明神は、住吉明神の妃で、帯下の病により淡島に流されている。以来、女人の下の病を守る神として、更に安産の神として信仰される。なお、当社付近には、分社であると考えられる淡洲神社が、滑川村水房、山田(二社)、福田、土塩、嵐山町勝目、太郎丸に鎮座する。
本殿内には、「享保十四年(一七二九)九月二十九日、神祇管領吉田兼敬」記銘の「正一位阿州大明神幣帛」がある。
『風土記稿』によると、別当は天台宗東叡山寛永寺末の岩曜山明星院円光寺である。三世秀海は貞享三年(一六八六)に示寂する。円光寺には、薬師堂があり、ここに安置する薬師如来像は、当社の木地仏である。社蔵の金幣にも「御垂迹速御玉比売神社」「武州比企郡伊古村本地薬師如来」と刻まれる。当社の神は、木地薬師との関係か、諸病快癒、安産の信仰を伝える。ちなみに同寺は、中武蔵七十二薬師のうち、七十一番札所となっている。(「埼玉の神社」より)


伊古乃速御玉姫神社所蔵の文化財

  • 伊古乃速玉比売神社社叢(県指定天然記念物)
  • 勝海舟幟(滑川町指定有形文化財)

伊古乃速御玉姫神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)