大雷淡洲神社。比企郡滑川町山田の神社
大雷淡洲神社の概要
大雷淡洲神社は、比企郡滑川町山田にある神社です。大雷淡洲神社は、山田淡洲神社と同じく、応永2年(1395)の創建と伝えられます。寛永2年(1625)に村の鎮守となり、宝永7年(1710)に霊代を改めて勧請、下山田地区の鎮守となっていました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格していました。
社号 | 大雷淡洲神社 |
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祭神 | 大雷命、息長足日売命 |
相殿 | - |
境内社 | 天神様 |
祭日 | 例祭7月28日、秋祭10月17日 |
住所 | 比企郡滑川町山田1852 |
備考 | - |
大雷淡洲神社の由緒
大雷淡洲神社は、山田淡洲神社と同じく、応永2年(1395)の創建と伝えられます。寛永2年(1625)に村の鎮守となり、宝永7年(1710)に霊代を改めて勧請、下山田地区の鎮守となっていました。明治維新後の社格制定に際し明治4年村社に列格していました。
境内掲示による大雷淡洲神社の由緒
当社は昔この地方がしばしば旱魃に見舞われ凶作が続くので五穀豊穣を願って雨乞いの神大雷神と三韓鎮定に功績を挙げた神功皇后を祭神として奉祀した神社と伝承される。勧請の年代は資料によれば応永二己亥(西暦一三九五)年と推察される。寛永二乙丑に邑の鎮守となり、明治四年三月に村社に列格した。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による大雷淡洲神社の由緒
(山田村)
雷電社
山王社、
村の鎮守なり、東光寺持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による大雷淡洲神社の由緒
大雷淡洲神社<滑川町山田一八五二(山田字山崎)>
当社は大雷神社と淡洲神社の合社で、大雷命と息長足日売命の二柱を祀る。社伝によると、昔この地がしばしば干ばつに見舞われて凶作が続いたため、五穀豊穣を願って水分の神である大雷命と、三韓・熊襲の征伐に功績のあった神功皇后(息長足日売命)を奉斎したことに始まるという。近くにある式内社の伊古乃速御玉比売神社が「郡中の総社」として淡洲明神ともいわれていたことから、同社をこの地に勧請したことが推測される。
一方、『明細帳』には「勧請年月不詳宝永七年(一七一〇)三月霊代ヲ改メ鎮守タリ明治四年三月村社ニ改ム」とある。これに見える「霊代ヲ改メ鎮守タリ」の記載は、同じ地内にある上山田の淡洲神社が同年代に神祇管領の吉田家から正一位の神位を拝受していることから、これに合わせて当社も神位の拝受を行い、名実共に村の鎮守としての地位を確立したことを表すものであろう。
『風土記稿』は、地内の神社について「淡洲明神社 村の鎮守なり、東光寺持、下二社同じ、雷電社山王社」と載せる。この記述から合社となったのは化政期(一八〇四-三〇)以降のことと考えられる。
合社後しばらくは二棟の覆屋にそれぞれ本殿が据えられていたが、淡洲神社の方に大雷社を合祀した際に大雷社の本殿は外に移された。現在の社務所はかつての大雷神社の覆屋である。(「埼玉の神社」より)
大雷淡洲神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)