泉福寺。比企郡滑川町和泉にある真言宗智山派寺院

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泉福寺。国重要文化財の阿弥陀如来坐像

泉福寺の概要

真言宗智山派寺院の泉福寺は、八幡山無量院と号します。泉福寺は、建久元年(1190年)に法印梅伝が開基したと伝えられ、当寺本尊阿弥陀如来像の体内の墨書銘によると、この阿弥陀如来像は建長6年(1254)に修復されたと記しています。

泉福寺本堂
泉福寺の概要
山号 八幡山
院号 無量院
寺号 泉福寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 比企郡滑川町和泉1681
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



泉福寺の縁起

泉福寺は、建久元年(1190年)に法印梅伝が開基したと伝えられ、当寺本尊阿弥陀如来像の体内の墨書銘によると、この阿弥陀如来像は建長6年(1254)に修復されたと記しています。

新編武蔵風土記稿による泉福寺の縁起

(和泉村)
泉福寺
新義眞言宗、埼玉郡上ノ村一乗院末、八幡山無量院と號す、開山の事詳ならず、僧覺盛中興す、此人は寛文十一年正月二十日化す、本尊彌陀、享保年中此像修造の時、胸中より古書を得たり、其文に
中尊心札建長六年大歳五月七日甲寅、執筆成永
奉修覆泉福寺随身阿彌陀如来一體
同觀音勢至 菩薩各々二體
右志者爲父孝□安聖靈滅罪生害、爰大施主等爲現世安穏、後生浄土、奉修覆如件、大旦那沙彌西願御芳像源氏所生君達、
院主阿闍梨阿乗房。
結主十部入道
成津房五郎入道
二郎入道
よりて左の文を添しと云、
奉再興、慈覺大師御作阿彌陀如来三尊
右天下泰平、國土安穏、萬民豊楽、別而勸化諸衆、寺且二世安楽、如意満足祈所、
成田一乗院第十六世俊雅直弟法印俊尊奉再興焉
再興大佛師 佛光寺通室町 康竹
再興の僧俊尊は、享保十八年化すと云、
八幡社。境内にあり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉宗教名鑑」による泉福寺の縁起

泉福寺
建久元年(1190年)、法印梅伝の開基、と伝えられており、寛文11年(1671年)正月20日入寂の覚盛が中興し、さらに俊尊が再中興した。俊尊は享保18年(1733年)入寂。(「埼玉宗教名鑑」より)


泉福寺所蔵の文化財

  • 泉福寺阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)
  • 観音・勢至両菩薩像(埼玉県指定有形文化財)

泉福寺阿弥陀如来坐像

阿弥陀如来坐像は国指定重要文化財で、等身大、漆箔、割矧造りの木造仏である。享保年中にこの像を修理したとき、仏像の体内に墨書銘のあることが判明した。
墨書銘には、建長六(一二五四)年五月この仏像を修復したことが記されており、施主である沙弥西願と源氏に関わりの深い女性とその子孫が、現世安穏と後生浄土を願い、あわせ父母の霊を祈ったものである。
脇侍の観音・勢至両菩薩は、現在県指定文化財となっているが、墨書銘に両菩薩を修復したと記してあることから、本来は弥陀三尊として製作されたものである。
これらの仏像には平安時代の著名な仏師定朝の流技が各所に残っているが、多分に鎌倉様式が取り入れられているので、製作年代は鎌倉時代前期と考えられる。(滑川町観光協会・滑川町教育委員会掲示より)

泉福寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉宗教名鑑」