明照寺。比企郡滑川町土塩にある真言宗智山派寺院
明照寺の概要
真言宗智山派寺院の明照寺は、金寶山と号します。明照寺は、五台山文殊寺を離檀した(旗本西山重左衛門の組下)十八名が、天和年間(1681-1684)に創建、宥鑁(元禄2年1689年寂)を開山に迎えたといいます。
山号 | 金寶山 |
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院号 | - |
寺号 | 明照寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡滑川町土塩764 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
明照寺の縁起
明照寺は、五台山文殊寺を離檀した(旗本西山重左衛門の組下)十八名が、天和年間(1681-1684)に創建、宥鑁(元禄2年1689年寂)を開山に迎えたといいます。
新編武蔵風土記稿による明照寺の縁起
(土鹽村)
明昌寺
新義眞言宗、埼玉郡上ノ村一乗院の末、金寶山と號す、本尊大日を安ぜり、開山宥鑁は元禄二年十一月廿六日示寂す、
彌陀堂(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による明照寺の縁起
明照寺復興之碑
天和年間当時の旗本西山重左衛門の組下十八名五台山文殊寺より離檀し金宝山明照寺を建立したと傳へられる。宗教の中心としたるが偶々昭和四十四年四月一日午の刻に突發した火災に罹り惜しくも全山烏有に帰せり檀家信仰の中心を失ない火焔の中に謀議して復興を決定し世の浄財檀信徒の出費負担を約せり
昭和四十四年十月二十七日檀信徒の協力を得て総工費百二十一萬五仟円復興成り信仰の中心を恢復せり熊谷市上之一乗院住職福田晃英禅師より御本尊不動明王その他多数の佛像の分譲をうけ遷佛式も厳かに修了せるは後世長く傳へたきところなり依って石に刻して後毘に傳ふ
昭和四十四年十月二十七日 上 遊岳書(境内石碑より)
明照寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉宗教名鑑」